リバプール・ストリート駅

 小雨模様の中、僕たちがリバプール・ストリート駅に着いたのは、夕方6時半頃だった。
僕らが住むウエストハムステッドからだと、フィンチリー・ロードまで歩いて、そこから地下鉄のメトロポリタン・ラインに乗れば乗り換え無しで来られるんだけど、僕はレッドバス・パスを持っている。 このパス、日本のように区間限定ではなく、ロンドン交通局区間の路線は全て有効で、しかも、土日を含む休日はパス所持者以外に1名、無料でゲスト乗車出来るのだ。 旅費にそれ程余裕の無い僕らにとって、ちょっと大回りになり、到着時間が不安定であるデメリットを考慮しても、このメリットを使わない手は無い。
 ジーパンにセーター、黒のダッフル・コート姿の僕と、黒のパンタロンにセーター、その上に彼女はエシベイガーさんから貰った黒いマントを羽織っている。 もうじき桜の花が咲こうかって時期なのに、これ位の服装でも少し肌寒く感じる。
 さっそく駅に入り、念のため列車の時間を確認する。
僕らが乗る列車は8時発で、ホームへの入線予定時間は7時20分となっているから、列車が入るまでにまだ50分もある。 取り敢えず、構内のビュッフェでコーヒーでも飲みながら時間待ちをすることにした。

 僕らにとって、ロンドンからの欧州旅行はこれで3度目になる。
初めて二人で出掛けたのは、僕がロンドンに来た年の冬で、この時の事は『遙かなるテームズの流れ』の冬の旅で書いた。 二度目は結婚式と新婚旅行を兼ねた1ヶ月間の旅。 そして今回はと言うと、実は彼女が妊娠し、そろそろお腹が少し出てきだした時期で、今の内に小旅行でもしとこうかって事で、急遽決めたものだ。
 僕らの予定では6泊7日の、アムステルダムを中心にしたオランダ旅行。
往復は例の如く、スチューデント・チケット(半額)を利用して、アムスでは・・・・いつものように野宿と安宿って訳には行かないので、今回は野宿などせず安宿を利用することにしている。 勿論、前同様、宿の予約はしていないから、現地に着いてから足で探すしかない。
  交通費  £60
  宿     £36〜40(£6/day)
  食事    £20(£3/day 2人分)
少ないようだけど、これでも前の旅に比べれば、まあ少し贅沢ってとこだろうか。


ロンドン〜アムステルダム
 
 列車が入線するとすぐに僕らは乗車し、誰もいないコンパートメントのゆったりしたシートに座り、ここで発射までのちょっと長めの時間を、何やかやと取り留めの無い話をしながら潰す。 
 コンパートメントには僕ら以外の乗客が無いまま、列車はゆっくりとリバプール・ストリート駅を離れ始めた。 列車でも船でも、それから飛行機でもそうだけど、旅立ちの時間の中で、乗り物が動き出す最初の瞬間ってワクワクするものがあるね。 小さな頃は、乗り物が動き出す事への興味からだったけれど、今はちょっと意味合いが違う。 これから始まる未知の旅への期待と、ほんの少しの不安・・・・などなど、心地よい緊張感、それがこの最初の瞬間で一気に解き放たれるって感じかな。
 列車は真っ暗な中、一路ロンドンの北東部に位置する Harwick へ向けて走り出した。
この路線は初めて乗るので、本当なら景色を見たかったんだけど、時間の節約も兼ねて今回もナイト・フェリーを利用する。 でも、不思議なもので、景色がよく見える昼間の車窓より、街明かり頼りの限定された景色を見る方がいろいろと想像力が掻き立てられて、むしろ楽しくなってくる。

 1時間20分、列車に揺られた後、いよいよ海峡を渡るフェリーの港に着いた。
フェリーは10時発で、まずは出国手続きの後、キャビンカードを貰って乗船。 2層になっている客室の2階に行ってみると、ドーバーのフェリーとは違い、ゆったりした席が並んでいて、正面にはカラーTV(当時の英国では、まだまだモノクロも現役で活躍していた。)がある。 席は向きを変えられるようになっているので、向かい合わせにしてベッドを作る。 乗客はそう多くないので、ゆったりくつろげそうだ。
 落ち着いた所で、さあ、船内探検(子供じゃあるまいし・・・・でも、この性分は直らない。)と彼女を誘うが、疲れたのでゆっくりしたいと言う。 考えてみればそうだ、彼女は妊娠中の身。 で、僕一人で船内探検、いや散策へといざ出発。 
 第一だね、さっきも書いたが、乗り物が動き出す瞬間がたまらなく好きな僕だ、まして島育ちで船が大好きと来ている。 出航の瞬間を甲板で立ち合わないでどうするよ。 暗闇の中からびゅーびゅー吹いて来る冷たい風にも負けず、船が大英帝国??から離れる瞬間に立ち会った僕は満足気に席へ戻ると、彼女はもうしっかり眠りに就いていた。
 席について暫くTVを見てると、やがて消灯時間なのかTVが消され、船室内の照明が落とされた。
僕も横になり、ダッフルコートを掛け布団代わりにして目を閉じた。 船室前方にはバーがあるが、そこだけは煌々と明かりが灯り、ワイワイがやがやと、人の声が漏れてくる。 僅かに船の揺れを感じながら、バーのざわめきを子守歌代わりに僕も眠りに就いた。

 朝方、廊下から漏れる明かりと、人が動き回る気配で目が覚めた。
今回は1週間足らずの小旅行って事もあって、荷物も少ないから下船準備も何もあったものではない。
早速、みんなが歩いて行く方向に僕らも身を任せ、いよいよヨーロッパ側の港、 Holk Van Holland に上陸する。 まずは毎度の儀式である入国手続きを簡単に済ませ、アムステルダム行きの列車に乗るため、ホームへ向かう。 途中にあった両替所で£60をギルダに替える。 248ギルダ、つまりポンド当たり4ギルダだ。
 空はうす曇りで、天気が良くなるのか悪くなるのか・・・・それにしても、やっぱり肌寒い。
列車に乗って、コンパートメントに席を取るとまずは朝食。 持ってきたパンにジャムやチーズを載せて、飲み物は温かいコーヒー。 
 久しぶりのヨーロッパの駅だ。
この低いホームが僕は大好きなんだね。 英国のそれは日本と同じで、列車のドアと同じ高さだから、この低いホームの駅に来ると旅してるって感じになる。 さあ、久しぶりのアムステルダムへ向けて出発。
             

アムステルダム到着

 「アムステルダムの朝は早い」
こんなコピーで始まるネスカフェのコマーシャルがあった。 
僕にとってのアムステルダムのイメージと言えば、このTVコマーシャルと何故かコーヒーの匂い。
そんなアムスに着いたのは朝の8時58分。
 平日とは違って、駅の中も、運河を挟んで見える駅前通りも閑散としている。
レンガ作りの中央駅を出ると、左手に見える聖ニコラス教会が僕たちを迎えてくれた。
さあ・・・・と、宿が決まっていればまずは宿に向かうところだけれど、僕らの旅で宿を先に予約することはあり得ないので、まずは運河を渡って市街に入って宿探しをしなければいけない。
 いつもなら、そして、もしその街がこのアムスのようにそれ程大きくもなければ、街中をぶらぶら歩きながら雰囲気のいい場所で気に入った宿を探して回るのだけれど、今回は身重の嫁さんを連れている。 そこで、取り敢えず今夜泊まる宿を確保して、それから新たに気に入った宿を探す事にした。
安宿を探すのに一番手っ取り早い方法、それは以外にも駅の近くで探す事だ。  駅前にはヴィクトリアのような高級ホテルがあるが、そこから少し入れば清潔で手頃な宿が幾らでもある。
 駅正面の本通りとも言えるダムラック通りをダム広場の方に少し歩き、ちょっと左に入った所で一泊30ギルダ(朝食付き、ダブル)のホテルを早速見つけたのでここに決定。  一人当たり約£4(当時のレートで約¥1400ってところか)。 僕らにすればやや高めだけど、これでのんびり観光気分で宿探しが出来る。 
3日目から泊まった安宿

 部屋に荷物を置いて、ちょっと休んでから早速散策とホテル探し開始。まずはダム広場に出て、市庁舎の方に歩きながらこれと思うホテルやペンションに入ってみる。 その内、運河に面した小さな宿で面白そうなのを見つけた。 
 数段の階段を上り背の高いドアを開くと、中は田舎の農家のような、何というか懐かしい匂いと雰囲気のするレストランとレセプションになっている。 何の塗装もしてない素朴な木のテーブルに椅子、床も壁も天井も木なので木の匂いがほのかに匂ってくる。 窓からはレースのカーテンを通して陽が柔らかく挿している。 壁や天井には、訪れた人達のサインやメッセージが所狭しと貼ってある。 中には日本語もある。
 早速交渉に入るが、部屋は一杯だと言う。
なんだかんだとやっているとその内、宿の主人らしき人が現れて、明後日なら4階の家族部屋(4人)が空くから、そこを30ギルダ(二人で)でどうだと言う。 4人用家族部屋なんだからこれは悪くない。 早速、予約を入れて、明後日チェックインする事を約束してホテルを出る。

 ホテルを出て、どこへ行くともなくぶらぶらとダム広場に向かって歩き、そろそろ昼食の頃。
広場から少し入った所に中華レストランがある。 昨夜から簡単な食事しか採ってないので、ここでちょっとボリュームのある食事が欲しかった所だ。 こんな時、中華は安くてボリュームがあるから最適。
 日本で言う「焼きめし」があったのでこれを注文。
所が出てきたのを見てびっくりだ。 大皿に山盛りあって、これは優に4人分はあるかって量。
一体、どうやってこれだけの飯を食えと言うのか・・・・と思いながらも、結局、全部食べてしまったのはやっぱり若さかな。 因みに、後日このレストランで再び同じのを頼むと、量はこの日の6割程度だった。 一体あれは何だったんだろうか? 余り飯が一杯あって、サービスしてくれた??

 食後、別に行く場所も決めず地図も見ず、ぶらぶら歩いていると雨が降ってきた。
天気は少し悪そうだった事と、ロンドンにいると折りたたみ傘をいつも持つ癖があったので、折りたたみは持っている。 傘をさしてレンブラントの家や旧東インド会社のビルを見てホテルに帰った頃には、僕らの足下は雨でぐしょぐしょ。 靴の中まで雨が入ってしまった。
 ちょっと休んで、今度は僕一人で街の散策。
実は、ロンドンに渡る前にこの街へ来た時、一緒にいた仲間2人と入ったレストランを探したかったのだ。
あの時、メニューを日本語に翻訳して欲しいと頼まれ、そのお礼に夕食をご馳走になった。 僕らが手書きで作ったメニューがどうなっているか、結構興味があったからだ。
 当時の記憶を基に街中をあっちへ行ったりこっちへ戻ったり。
・・・・と、突然見覚えのあるレストランが目に飛び込んできた。
足早にそのレストランのウインドウに近づくと、あったあった、僕らがマジックで書いたあの時のメニューがあの時と同じ場所に置いてある。 ただ、その後、多分やはり同じような観光客にでも書き足して貰ったのだろう、幾つかの献立が増えている。
 中を覗いて見ると、様子は変わらないが、ウエイターが当時の人かどうか思い出せない。
中に入って「やあ、久しぶり。」って言うほどの度胸は流石に無かった。 いや、またただで食わせろと言うような気がして、結局、僕らの作品と再会した事だけを土産にその場を立ち去った。

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