16 Cleve Road

28年ぶりの再会

 28年と言う年月が果たして長いのか短いのか?
それは感じる人によってまちまちだと思うし、また、何を基準に長いと感じるのか短いと感じるのかということもあるだろうね。
 たとえば、人生50年と言われていた時代から考えてみれば、28年と言えば人生の折り返し点をすでに過ぎてしまったことになる。 生まれてからの人生で見てみれば、大学を出た人なら、新卒で就職して職歴が6年の地点ということになる。 いっぽう、この古めかしい建物からしてみれば、僕たちが住んだ期間や、その後の28年なんてものはほんの一瞬でしかないのかも知れない。

 僕たちが英国から帰国した後、現在に至るまでこの国を再び訪れることなく28年の月日が過ぎ去っていった。
欧州以外の国へ出かける機会は、まあ、仕事とはいえ豊富にあったにも拘わらず、また、本気で再訪したいなら決して無理なことでも無かったにもかかわらず・・・・・・。
 そうこうしている間に、このサイトで登場して頂いている友、タケちゃんが仕事でロンドンに立ち寄ると言ってきた。
これはいい機会と、彼に僕が住んでいたこの建物や付近の様子を写真に撮ってくれるよう頼んだ。 多忙の中、僕の勝手な依頼を快諾してくれたタケちゃんは何枚もの、僕にとってはとても貴重な写真を送ってくれた。

 実を言えば、この懐かしい建物と再会したのはこれが初めてではない。
去年(2004年)、ネットサーフィンをしている最中に、何気なくこの建物がある住所を検索窓に打ち込んでみた。 数秒後、PCのモニターには見覚えのある懐かしい建物の姿が小さく表示された。
 それは不動産屋のサイトのようで、いろいろと情報が書いてある。
まず、家賃がべらぼうに高くなっている。 いくら28年の時が過ぎているとはいえ、1週間の家賃がなんと£200。 僕たちが住んでいた部屋より広い部屋のものであったとはいえ、当時、その部屋は£20程度だったと記憶する。 違っていたのは家賃だけでは無く、建物の色も多少、塗り替えられているようだった。
 とはいえ、おおむね、その姿は僕たちが住んでいた頃と違いはない。
その小さな写真をすぐにDLし、PhotoShopで拡大を試みたが、とても建物の詳細が分かるような解像度ではなかった。 しかも、写っているのはこの建物だけで、周囲の様子は全く分からない。  いざ、こんな写真に接してしまうと、もうどうしてももっと詳しい写真を見たくなってきた。 そんな折りだった、タケちゃんがロンドンに立ち寄ると言ってきたのは。

 送られてきた写真を一枚いちまい開いて行く・・・・拡大して隅々まで見てみる。
些細な違いはあるにせよ、この建物や周囲の建物は当時の姿をそのまま留めている。 もし今、この通りを歩いてもおそらく、28年と言う時の経過を感じることはないだろう。
 ロンドン中心部の様々な開発状況はある程度知っているので、この辺りもどうなんだろうと思っていたが、そんな危惧も彼が送ってくれた写真で吹き飛んでしまった。
 別の写真に写るWestHampstead駅の駅舎は、30年近く前、毎日のように目にしていたあの駅の姿そのものだった。 下の写真、中央よりやや右よりの煉瓦造りの建物が駅舎で、電車は手前の駅から地上軌道になっている。 写真右の方に暫く歩くとCleve Roadがある。 


 考えてみれば、当時の面影がそれほど変わらずに残っているのも無理はない。
やれ開発だなんだと言えばすぐに古い建物を壊して、そこに新しい建物を建ててしまう現代の日本人とは違い、英国人(だけではないだろうけれど)は実に古いものを大切にする。
 建物にしても、彼らは極力外観を留めたまま、改装するとすれば内装だけに留める。
実際、法律でもそのようになっているような話を、ロンドンにいた頃、知り合いの建築家から聞いたことがあった。 それだけに、この国では建築家と言われる資格を持ったひとの数が随分と制限されているとも聞いた。 確か、あの当時でも英国全体で70人程度だったと記憶する。
 もっとも、古いものを大切にするのは家の中も同じで、僕が住んでいたフラットには3種類の電気コンセントがあった。 スタンドを買ってきても、プラグがついていない。 何故かって、そりゃあ、どんなコンセントが付いてるか分からないんだからね。 だから、プラグをまた買ってきて、自分でコードに取り付けてからコンセントに差し込むって寸法だった。
 風呂のバスタブやトイレの便器も超年代物だったし、使っているフーバーなんて、戦前の品物かってほど古い感じがして、故障も多かった。 明らかに買い換えた方が安いと思うのだけど、家主はそれでも修理して使う。
それじゃあ、みんな器用かっていうと・・・・・・ちょっとした簡単な修理をしただけで「お前はエンジニアか?」と聞いてくる。 冗談じゃない、この程度の修理は日本人なら誰でも出来るよ・・・・とは言わないが、そんな感じの出来事に何度も出くわした。 不器用で(失礼)ありながら、古いものを大切に扱う彼らを見てると、どちらが本当に豊かなのか? 疑問に思えてくる。
 
 彼らの生産性が上がらない理由の一つに、この古いものを大切にするってことがあるように思う。
確かに、古い設備をどんどんと更新して、いつも馬車馬のように働いていれば、余程トップがアホでない限り、ある程度の経済成長は続くだろう。 しかし、そのような体制や考えがこの国にまで当然のように入り込んできたとしたら、なんだかとても残念な気がする。
 自分たちは努力してるんだからどこが悪い・・・・・・って考えは一見、正論のように聞こえるが、それは所詮、一つの民族で、同様の価値観を持ち得る人たちの中で言えること。 そんな理屈を異民族の中で振りかざしてみたところで、相互不理解が大きくなるだけのこと。

 目に見える変革は確かに進歩、発展を大きく意識させてくれる。
しかしね、目には見えないところで着々と進んでいく改革というものもあると思う。
そして、僕には後者の方が遙かに馴染みやすいものなんだね。
そんなことを、彼の写真を見ながらふと思った次第。

                                       
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