酔っ払い団長のラオスODAレポート  

「ラオス国立大学経済経営学部建設プロジェクト」
 
社会主義体制のラオスが1986年に経済開放政策を打ち出して以来、市場経済化は進みつつあるが経済のグローバル化に対応した高等教育の場が必要とされた。
そこで1998年7月より日本の国立神戸大学等の協力で、この経済経営学部と人材協力センターが日本の無償資金協力事業により建設され現在運用中であった。
 
建設内容は申し分なく日本の地方国立大学より良い位であるが、当然のことながら前身の経済教育部門(経済専門学校等)が無かったことから、教授陣容が揃うまでは人的な継続的援助が必要となる。
またラオスの個人所得の低さから、夜間を主に活用しての社会人(経済実務家)教育の充実がのぞまれます。

 
首都ビエンチャン中心部から北東に車で約30分で到着したその建物を見たときは、正直「倉庫と物置」が並んでいるのかと思ったほど貧弱な施設でした。
そこでJICA(国際協力事業団)から派遣された日本の看護婦の斎藤千晴さんの「この病院での最初の指導は床の掃除の徹底」との話には、ただただ唖然とするばかりでした。
特に産科病棟の見学では手術室と紹介されたそれはどう見ても「小屋」そのものでした・・・
こんな施設で治療を受けなければならない現実こそ「ODA民間モニター」として、日本の納税者のみなさんに伝えなければならないことではないかなぁ

 
今回のラオスモニター(税金の使い道の監視)中の最大事業で、日本ラオス友好のシンボルであると共に「マスコミのODA批判」の象徴でもあり今後とも議論の分かれる事業でもあります。
しかし現実にラオス経済に貴重な外貨をもたらし続けており、この国ではこの電力を使える産業は無いとの意見もあるが、このことは逆に「ラオス開発の隠れた資源」との見方もあるのではないでしょうか。
首都ビエンチャンからラオスの古都ルアンパバーンへの航空機での移動の際は琵琶湖の半分以上の広さがちょうど「孔雀が羽をひろげた」ようにも見えたし、その広大な湖が僅か468mのダムで出現し、貯水効率では世界第2位(注)という日本の建設技術に敬服するばかりでした。
尚この湖から首都ビエンチャン特別市の魚類消費の約6割が賄えているそうです。(注2)
 
(注1)ダムの堤体積と貯水池の容量比で、世界1はザンビアのカリバダムだそうです。
(注2)当ラオス班の通訳ポーンケオ氏の話。

 
ラオスはなんといっても農業国であり、就業人口の約85%を占めGDPの約60%を支える主要産業です。しかしこの部門こそ国内では開発が遅れているとの認識のもと、農業の近代化を目指しての「モデル農村」を建設中であった。
 
この村では小さな沼に小規模の堤を築造して、農業用水の確保・水路の整備を行い、また家畜の飼育や養魚・キノコの栽培等々JICAの専門家の皆さんが日々努力している様子が実感できました。私も新潟市近郊の農家に生まれましたので「古きよき農村」に心が和みましたし、夕方から村人総出の「歓迎レセプション?」での約60度のラオス焼酎攻勢にも耐えることができました(^^)
 
さらにこの村に昔から伝わる「お釈迦様の足跡」にお参りし、再び訪れることができるように祈ってきました・・・

 
ラオスの古都ルアンパバーンの中心街に建つこの病院は、手術棟の上部に換気用の金網が貼られ素人目にも大丈夫かな?と思える程の旧い建物でしたが、そこで働く臨床検査技師の松村志絵さんの明るい笑顔で重苦しい気持ちが少しは救われました。
 
ここでは臨床検査体制の確立と管理運営の技術指導として日本の若い青年が頑張っておられ、検査機器は旧式であるが立派にメンテナンスが行われ使い勝手の悪い(日本以外の)外国製の器材もなんとか使いこなしていました。しかし問題は故障した場合の修理体制が不備なため直るまでの間は検査が困難になることです。
 
でも病院内には「ゆったりした時」が流れ、それらの建物には「明治時代の落ち着いた病院」の風格さえ感じられました。

 
今回のラオスモニター(海外援助監視・広報事業)公式10案件の中では最も楽しみにしていた事業で、1909年に当時のラオス国王であるシーサワンウォンとその家族が王宮として利用・居住していた建物で、その頃植民地化していたフランスの影響を受けながらも古来ラオス様式(寺院形式)の落ち着いた建築であった。
 
その中で川島君と藤田さんの二人が、数万点にのぼる未整理収蔵品を丹念に分類・記録(写真)しており、大変専門的で根気のいる作業を続けておりました。
 
まあ俗っぽい日本人の私としては、記録・整理の終わったところから「特別展示」でもやれば、古都のイメージと共に観光資源として貴重な外貨収入が得られるのではないかと考えますが、一方でこの重要な文化遺産(ユネスコがこの町一帯を指定済)このまま静かにたたずんでいて欲しいな・・・とも想えるのでした。

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