ビルケナウ(Birkenau)は、第二アウシュビッツと言われているところ。
アウシュビッツから2Km程はなれたところにある。
死の門をくぐったら、2度と出られないと誰が思ってたであろうか。
ガス室跡は、破壊されたままである。 付近に散らばっている白い土は、骨粉であるという。 本当に痛ましいが、こういった形で戦争の悲劇を後世に伝えることが、大事だとつくづく思った。
※以上、ノブちゃんからのコメント。


アウシュヴィッツ基幹収容所にせよ、このビルケナウ絶滅収容所にせよ、収容所とは名ばかりで、その本来の目的はユダヤ人抹殺のための施設と言う方が正確な気がする。

この門をくぐって運び込まれた人達の7割以上が、そのままガス室へ送られたと言う。 消毒するから、シャワーを浴びて貰うから・・・・色々な理由をつけて衣服を脱がされた収容者たちは、そのまま、まるで満員電車の中のような状態である部屋に入れられる。 
やがて、部屋にはチクロンガスが充満され、合理的な殺戮が完了する。
このようにして、この収容所だけでも、100万以上の人が抹殺されたのだ。

このような恐ろしい事を命令出来る、そして日々、淡々と遂行できる精神状態って何なんだろう? ところが、これに拘わった多くの人達も、いざ家庭に戻れば普通の人達だったりするこの不可解な事実。

この施設が機能するのをやめて半世紀以上過ぎた現在も、世界では様々な戦いが続き、規模や形態の違いはあっても、理不尽な虐殺が繰り返されている。
いったい幾つのアウシュヴィッツが、ビルケナウがこの地上に残されれば人類はこの蛮行を終わらせる事が出来るのか? 

これ程大規模なもので無いにせよ、かつて日本人も様々な殺人研究施設を運用した筈だね。 そこでは、被害者のことを「丸太」と呼んでいたと言う。 我々日本人は、自分たちが受けた被害(原爆)に対してはヒステリックなまでに廃絶運動を行い、それらに拘わる施設の維持に熱心だ。 でも、それと比べれば、加害者としての負の遺産をどれ程熱心に伝えようとしているのだろうか?
因みに、ポーランド南部にあるこの小さな町にある収容所(博物館になっている)維持の為に、一番資金を出しているのはドイツであり、一番多い訪問者もドイツ人だと言う。

旅行滞在記にも書いたが、被害者意識から生まれた平和理念って本物なんだろうか? 自身の負の遺産についてもしっかり、次の世代に伝えていく義務を僕等は負っていると思う。