エッテルブルグとヴィアンデン エッテルブルグ エッテルブルグ(Ettelbruck)はルクセンブルグの北東にある町で、ホテルのウエイトレスの話では40Km 程の距離と言っていた。 この程度の距離なら歩いて行ける距離だけれど、今回は赤ちゃんを連れているのでとても無理な話。 ここは列車を利用するしかない。 時刻表で見ると次の列車は14時10分発で、エッテルブルグには14時47分に到着予定。 乗車定員の半分も乗っていない車両に乗り込み、キスリングザックとギターを棚に放り上げる。 僕たちは窓際に向かい合って座り、長女はバギーに乗せたままの状態で座席と座席の隙間にバギーを置く。 これだと、長女は何時も僕らの方を向いているので安心だし、バギーが通路にはみ出さないので他の乗客の邪魔にもならない。 僕たちはエッテルブルグで降りるが、この列車はその後、ベルギーを駆け抜けオランダの南端にある町、マーストリヒト(Maastricht)に到着する。 ルクセンブルグからマーストリヒトまで僅か5時間。 島国で育った僕らの持つ国際感覚というものと、彼らが持つ国際感覚というもの、字で書けば同じでも実際の所、似て非なるもののようにも思えてしまうね。 同じ事を何度も書いてるようだけれど、彼らにとって国際感覚とかいうものは僕ら日本人が考えてるそれより遙かに身近で、何でもないことだと痛感する。 そんな事を言いながら、反面、どうしても乗り越えられない壁、違いがあると言うことを僕ら以上にしっかり認識しているのも彼らだと思う。 列車は低い山や丘陵の間を縫うように、幾つかの町を過ぎてエッテルブルグに近づいて行く。 ルクセンブルグを出た時は晴れていた空が徐々に暗くなってきた。 しかも、車窓から見える山並みに白い物がだんだんと増えている。 「雪やないか」 薄い雲が空一面を覆い、今にも雨が降り出しそうな中、列車はエッテルブルグ駅に到着した。 キスリングザックを背負い、ギターを持って列車から降りると・・・・寒い、いや冷たい。 ルクセンブルグからそう離れてないと言うのに、この寒さ、この天気は何なんや・・・・それに雪がすぐそこの山に積もっている。 寒くて当たり前か。 小さな駅舎を出ると四角い広場になっていて、正面にホテルがある。 ホテルや駅舎の屋根にも残雪がのっかっている。 僕らは冬の旅でも結構無茶をやったので心配ないが、今回は生後半年の長女を伴っている。 こりゃあのんびり安宿探ししてる暇はない。 迷うことなく、目に入ったホテル(Hotel Cames)のレセプションに行き値段交渉。 2人部屋朝食付きで1120BF/2泊2人分、勿論、長女は無料。 思っていたより安かった。 案内された部屋に入ると、窓の正面に駅舎が見え、その後方にすっかり雪化粧の山が見える。 荷物を置き、落ち着いた所でまずは夕食の買い出し。 どっかしゃれたレストランでも探してゆっくり食事をと言いたいが、この後、日本に帰国してギターの専門学校に入学する事を決めていた僕にとっては、たとえ1円でも大切な時。 それに、前回のオランダへの旅を除いて、これまでの旅に比べれば全泊屋根の下で寝られるのだから、それだけでも贅沢ってもんだ。
今にも降り出しそうな空の下、3人で町中を散策しながらスーパーマーケットのハシゴ。 町中を歩いていると、東洋人が少ないのだろうか、通り過ぎる人の多くが長女の方を見て行く。 信号待ちの時や、立ち止まっている時などは長女を覗き込んで微笑んでくれたり、「まあ可愛い」と声をかけてくれたり。 夕食のためのパンや野菜、チーズなどを買うが、ホテルなので部屋で自炊って訳には行かない。 サラダにする野菜、それに後は缶詰類がおかずになる。 缶詰程度ならホテルの厨房に行って頼めば暖めてくれるから、こんな食事でも結構旅行気分が味わえるのだ。 帰りがけら、通りがかったオモチャ屋さんに入って長女のためのソフビ製猫のおもちゃを買う。 ホテルに帰ってよく見てみると、おもちゃの底にしっかりMade in Japanを表示されていた。 そういえば、オランダだったかベルギーだったか、ミニチュア家具が有名だと言うので色々見て回った事があったが、その殆どが日本製だったので驚いた事があった。 こんな田舎町でも日本製か・・・・・。 ヴィアンデン 小雨のヴィアンデン散策 翌日、今日はヴィアンデンに出かけようと思うがあいにくの小雨。 昨日、ホテルから見えた雪景色は雨ですっかり流され、遠くの山のてっぺんに僅かに残るだけになっている。 朝食後、昼近くまで僕はギターの練習、家内は長女に朝食を食べさせた後読書をしていると雨もやんできた。 昨夜の残り物で昼食を済ませた後、ヴィアンデンへ行くバスに乗った。 距離にして20km弱ってところか? バスは線路と川に沿って7号線を暫く走った後17号線に入り、小さなロータリーを左に曲がる頃には周囲の景色がすっかり田舎の田園風景に変わった。 幾つかの小さな村を通り抜け、林の中を何度か大きなカーブを描きながら抜けると木陰からモノトーンの古城がちらちらと見えてきた。 僕がみたこの城の写真は雪に覆われ、なんだか寒いイメージで「悲劇の城」、いや、あのドラキュラ伯爵かフランケンシュタインのイメージが僕の頭をよぎっていた。 ところが、実際にみてみると、なあんだ、普通の古城と言うか、お城の廃墟、イタリアやギリシャで見た遺跡とあまり変わりゃしないじゃないか。 一枚の写真から自分勝手にイメージを膨らませ、勝手な期待を持っていざその場所に行ってみると完璧にその期待が裏切られるなんてことはよくあること。 そりゃあ当たり前のことで、その写真が撮られた時の状況、それに、その写真を見る人のその時の感情や、その人が蓄えてきた知識も含めて様々な要素が絡み合って印象は違ってくる。 僕はこの城のどんなところに魅せられたわざわざこんな所までやって来たのだろう・・・・・そんなことを考えているうちにバスはヴィアンデンに到着したらしい。 おいおい、こりゃあ城だけじゃなく町まで廃墟になったんじゃあないか? そんな第一印象を抱くのも無理はない。 まず、乗ってきたバスの客が僕たち3人以外にいなかったことと、到着したバス停にも人が人っ子一人いない。 僕の視界に入る生き物を言えば僕たちとバスの運転手さんだけ。 空を見上げても鳥一羽も飛んでいない。 ホンマかいな、まさかこの運転手、実はとんでもない殺人犯で町民を皆殺しにして、僕らの命も狙ってるのと違うやろな。 まあ、そこまで本気で考えるほど被害妄想癖は無いが、とにかく静かで、まさにゴーストタウンにでも飛び込んだような錯覚を覚える。 故郷の淡路島もまあ田舎と言えば田舎で、更に人の少ない町外れの村に行っても人の姿、鳥が飛んでる姿、何かの音くらいはするもんだけど、ここは全くの静寂が支配している。 気を取り直して、取り敢えず町を散策してみるが、どの家の窓も鎧戸が閉まっていて商店やホテルらしき建物まで同じありまさ。 早朝ならいざ知らず、もう昼もとっくに過ぎて数時間で日が沈むってのにどうなってんだ。 小山の上の城が見える通りに出たとき、やっとのことで何かの業務用らしき自動車を発見。 ところが、やっぱり人が見えないし、声もしない。 まるで僕たちがこの町に来るのを拒否でもしてるかのように静寂が町中を包んでいる。 暫く歩くとウール川に出た。 古そうな石造りの橋があり、右手上の方にあの城が望める。 この景色、なんだか生まれ育った洲本の町みたいだ。 いや、洲本とこのヴィアンデンを一緒にするのはあまりにも無茶なはなしだけれど、両方に共通していることがある。 それはどちらも城下町だってことだ。 日本の城で言うところの天守の規模で行けば、圧倒的にこのヴィアンデン城の方が勝ってはいる。 しかし、同じ山城(この城を山城と言えるなら)として全体で比較すると洲本にある三熊山城の方が相当に規模が大きいな。 ま、現在の天守は昭和初期に再建されたチャチなものだけれどね。 いやいや、こんな所で馬鹿な比較しても意味がない。 洲本の僕の家からはこの三熊山の城が見える。 町の至る所から、この再建天守が見える訳だが、この町も、どこからでもとは行かないまでも、町を見下ろすように城が聳えている。 なんだか凄く懐かしい感じがする。 ところでこの城の歴史は古く、もとはローマ時代のカステルム(Castellum)を土台にヴィアンデン伯爵が11世紀に建てたもの。 ロマネスクとゴシック様式の重厚な城だったらしい。 ところが、14世紀にかけて身内の争いが続いて荒廃し、1820年にオランダのウイリアム一世の治世下、城は部分部分を断片的に売却された結果現在のように崩壊してしまったといわれる。 ※カステルムは個人やその家族の命や財産を守る為に造られた建築物(城など)のことのようで、欧州でよく見られる城郭都市のような建築物はカストルム(Castrum)と言うらしい。 ※1977年になってルクセンブルグのグランドデューク家が、この城を州所有としたこともあって、以後、修復がなされて現在は城内外とも綺麗に整備され公開されている。 僕たちがこの城を訪れたのは丁度この翌年ということになる。 町中・・・・と言ってもとっても小さな町なんだけれど・・・をぶらついてる内に雨がぱらついてきた。 途中何人かの人を見かけたので、どうやらゴーストタウンでは無さそうだ。 今日はこの辺にして一端ホテルに帰り、明日また来るとしよう。 帰りのバスの乗客は僕たち3人以外に2人、どうやら観光客では無さそうだ。 結局この日は町中を散策しただけで、城には行くことなくエッテルブルグに戻ってきた。 ホテルに帰った頃には雨も本降りになり、ほほに当たる雨が刺すように冷たく感じる。 手短に買い出しをしてホテルの部屋で夕食をとった後1時間ほどギターの練習。 翌朝、朝食のためホテルのレストランに行く途中、レセプションにいた人が「あんたは音楽家か?」と僕に聞いてくる。 まずい、ギターの音がうるさいってクレームでも出たのかと思いながらも「違うよ」と言うと、「てっきりレコードでも聴いてるのかと思ったら、あれはあんたの演奏だろう。」と言う。 やっぱりクレームか?? 「弾くのやめましょうか?」と僕。 「とんでもない、ギターの音でクレームなんて言ってたら赤ちゃん連れた客は泊められないよ。 気にしなくていいよ。」とのお言葉。 それにしても、僕なんかのへたっぴな演奏を聴いて音楽家と間違えるか。 ヨーロッパの人はみんな耳が肥えてるのと違うんかいな。 でも、考えてみると、ロンドンのフラットのフェーバライト夫妻も僕の演奏をレコードみたいで上手いと言ってくれてたっけ。 こうしてみると、クラシックの本場、ヨーロッパの人たちの耳もええ加減なもんやなあ。 ヴィアンデン再び 再びやって来たヴィアンデンだが、やっぱり天気は思わしくない。 空はどんより曇って霧雨が降っている。 仕方なく長女のバギーに雨具を被せて町中散策。 この天気やのになんて親なんやろなあとは思うけど、まさかこのまま何処へも行かず帰る訳にも行かない。 まずは城の方に向かって歩いてく。 あの石橋を渡って坂を登っていくと朽ち果てた城がどんどん近づいてくる。 それにしても、下から見る城の規模から考えると実に粗末な道やなあ、いくら時代から置き去りにされた城とはいえ、だ。 なんだか城に向かって歩いてると言うより、やっぱりローマやギリシャで見たような遺跡に向かって歩いてるような印象。 これまでイギリスやフランス、オーストリアやスイスで見てきた城へのアプローチとは随分違う。 やはり廃墟の城なんだなあ、この城は。 ふと、三橋美智也の「古城」や「荒城の月」のメロディーが僕の口をつく。 城門までやってくるとそれまでの印象とは違い、壁や塀は今にも崩れそうで、これはまるで空襲で破壊されたか地震ででも崩れたか、そんな風景だ。 門をくぐって更に歩を進めると柵がしてあり、「立ち入り禁止」のプレートが置かれている。 やっぱり、危険なんだろうなあ。 こりゃあ遺跡と言うよりやっぱ廃墟だ。 昔、第二次世界大戦のヨーロッパ戦線を舞台にした「コンバット」ってアメリカの戦争ドラマをよく見たもんだけど、なんだか石壁の向こうからシュマイザーやルガーを持ったドイツ兵がふいに出てきそうな気がする。 頭の中であのドラマのオープニングの画像と音楽がぐるぐると回り出す。 なにやらサンダース軍曹にでもなったような気分。 この町はヴィクトル・ユーゴーが愛した町でもある・・・・・と言っても、名前を知っているだけで、彼の作品にどんな物があるのかなんてこと、文学音痴の僕には分からないし、政治家でもあったなんてことは家内から教えられて初めて知った。 彼は、このヴィアンデン城の修復にも力を注いだと言う。 あの古い石橋の近くにユーゴーの胸像がある。 この胸像の向側にある建物が彼が滞在していたホテルらしいが、残念ながら昨日も今日も開いている様子ではない。 やっぱり、シーズンオフだからなのか? 雨粒が大きくなってきた。 長女に風邪でもひかせたら大変なので町中に戻り、早々にホテルに戻ることにする。 町中を歩いているとやっと、一軒だけ開いている土産物屋を発見。 観光客はどう見ても僕らだけのようなんだけど、商売になるのだろうか? 第一、町民らしき人影も見なかったと言うのに。
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