マルチシステムへの挑戦

決 断

 装置の入れ替えをしてから数ヶ月が過ぎたある日、突然桝谷さんから電話が入った。
「神戸でマルチシステムを組んだ人がおりますのやけど、日曜にでも一緒に行きまへんか?」
「この日曜ですか?」
「何か用事でもありまっか?」
「いえ、別にないですけど、じゃ、どこかで待ち合わせしますか?それとも直接その方の家に行けばいいんですか?」
「淡路からだったら中突堤に着く船ありますやろ。 そこまで向かえにいったげますわ。」
 と、かくして突然、桝谷さんとお会いする事になった。
桝谷さんには僕が分からなくても、僕は氏の本で写真を見てるから分かる筈だ。

 その週の日曜日、僕は洲本から神戸へ高速艇で出かけ、ポートタワーの下にある船客ターミナルに着くと、タクシー乗り場に出た。 果たして桝谷さんは本当に来てくれてるのだろうか? あたりを見回すと・・・・おや、赤い(赤だったと思うが)蝶ネクタイをした紳士が僕の10m程先に立っている。 本で見た写真の印象とはちと違う気もするが、あの本の写真も蝶ネクタイ姿だったことから、これは間違いない。
「こんにちは、桝谷さんですね。」
「わざわざ呼び出して迷惑ちがいましたかな?」
「いえいえ、ついでに三ノ宮で無線の方の部品も買いたかったので、丁度よかったですよ。」
 さっそく、桝谷さんの車(あれは昔懐かしいパブリカではなかったかな)で出発。
 何分ほど車に乗っただろうか。
狭い路地に入り、やがてビル街の中にある一軒の医院前で車は止まった。
桝谷さんに言われるまま、その医院に入ると何人かの人が迎えに出てくれた。
どうやら上階が居住空間になっているようだった。
そして紹介されたのがその医院の院長さんと、他にご家族だろうか、上品な感じの奥さんやいろんな人達。
みなさん「先生」と呼んでいる・・・・こりゃあ僕も先生と呼んだ方がいいのかな? でもまあ、学校の先生いがい、先生と呼んだことのない僕が急にそんな呼び方するのも柄に会わない。 このままでいこう。
 
 通された部屋は長方形で、僕のオーディオルームの縦横比と同じ位だが僕の部屋よりかなり広い。
そして、部屋の片側にスピーカーがおいてある。 ヘルパーさんに作ってもらったというマルチセルラーホーンもある。
桝谷さん著の『ステレオ装置の合理的なまとめ方と作り方』やカタログで見るそれに比べて、本物は実に綺麗だ。 
 一通りの挨拶を終え、早速音だし。
僕がいつも聴いている曲を聴いてみようと言う事になり、家から持ってきた4枚のCDを順に聴いて行く。
家の16cmフルレンジに比べ、こちらは2ウエイ。 ウーファは30cmで、ツイーターがホーンになっている。 しかも、マルチだから、それぞれのスピーカーを専用のパワーアンプ(P−35U)でドライブする。 Mark−8Dにはトーンコントロールが付いてないが、マルチにすることにより、これらスピーカーのバランスによって音質を調節出来る、ってことらしい。
 出てくる音の方向性としては僕が使っている装置とそう違うものではないが、スケール感とか密度、音の分離、音域はやはりこちらの方がいい。 ただ、人、楽器(ギター程度のサイズまでの)の関係なくソロを聴くには16cmフルレンジの方がリアルなように思える。
それから、僕の家の方は吸音壁をスピーカー周りに配置しているせいなのか?一粒一粒の音の艶は僕のリスニングルームで聴く音の方がいいように聞こえる。 はたしてこれは僕の思い上がりか?
 「ちょっとチャンネルデバイダーの設定変えていいですか?」
桝谷さんとこの家の主に了解を得て、高音を僅かに抑える。 
僕にはちょっと高音がきつく感じられたのだ。 
「桝谷さん、ちょっと高音、きつくなかったですか?」
叱られるのではと思いながらそう言うと、思いがけない言葉が返ってきた。
「若いあんたがそう言うんならそうかも・・・・・」

 僕はマルチシステムへの変更を心に決めてこの家を後にした。
帰りに三ノ宮にある星電パーツ(今はもう無い)に寄りたいのでと言うと、桝谷さんも行くと言う。
一緒にパーツセンターへ行き、僕は無線のアンテナ作りで使うパーツとコネクターを購入。 桝谷さんはと言うと、パーソナル無線のコーナーでトランシーバーを見ている。 
「このトランシーバー、どれ位の距離まで話せるんでっしゃろ?」
「えっ、桝谷さんも無線に興味あるんですか?」
「いやいや、写真もやるって本に書いてまっしゃろ。 仲間と写真撮影に行った時、トランシーバーあったら便利やろ思いましてな。」「場所にもよりますけど、パーソナルは周波数が高いので光と同じ伝搬ですよ。 周りの状況に影響されますからね、飛ばない時は全然飛ばないんで、到達距離はこうってハッキリ言えないですけど・・・・ それを前提に、市街地で2Km位、郊外や見通しのいい所だったらもっと飛ぶと思います。」
パーツセンターを出てから、喫茶店で桝谷さんから珈琲を御馳走になり、そこで桝谷さんと別れた。

 その週の半ばも過ぎた頃、桝谷さんから小包が届いた。
何だろうと思いながら開けてみると、中にはカセットテープが一本入っている。
まるでミュージックテープのように(多分、桝谷さんの英文ワープロで作成したものだろう。)、曲名他の情報が印刷されたレーベルまで付けられているではないか。 
 タイトルを見て思い出した。
僕があの日持って行ったCDの中に、『ペール・ギュント』があった。
これはプロムシュテット指揮、サンフランシスコ交響楽団・合唱団の限定版で、セリフ付のものだった。 氏もペール・ギュントは大好きとのことで、昔、FMで録った渡辺暁雄のがある(セリフ付)と言っておられた。 きっと、そのことを覚えてられて、カセットテープにダビングしてくれたのだろう。 早速、お礼の電話を入れると共に、あの日持って行ったCDをカセットにダビングして(当時、まだCD−Rなんて持ってはいなかった。)氏にお送りした。


マルチセルラーホーン

 いよいよマルチシステムへの挑戦である。
桝谷さんにホーンキットとPS−35U、チャンネルデバイダー(CDV-202)の注文をすると共に、コイズミ無線に30cmウーファ(EAS-30L100)とホーンドライバー(EAS-45D100)を注文する。 なぜ、またぞろパワーアンプかと言うと、先にも触れたように、マルチシステムの場合、ウーファとドライバーをそれぞれ1個のパワーアンプでドライブする。 だから、パワーアンプは2台いると言う事だ。
 アンプとチャンネルデバイダーは今回も、ヘルパーさんに制作をお願いすることにした。
ホーンは自分で作る。 普通、ホーン製作に躊躇する人が多いと聞いたが、僕の場合は状況がちと違った。 単純な理由である。 ヘルパーさんへの製作費¥50,000が出てこないのだ。

 かくしてホーンのキットが送られて来た。
エンクロージャーの時と違って、随分小さな箱で、重さも軽い軽い。
開けてみると・・・・・三味線のバチのような形状の航空ベニヤの束、それに四角形の板が数枚、ホーンとドライバーを繋ぐジョイント(スロート)にホーンの根本を支える台が入っている。
 組み立ての説明書は入ってないので、『ステレオ装置の合理的なまとめ方と作り方』のマルチセルラーホーン製作記事を参照する。 作り方はこの本を読んである程度頭に入れてあるから、製作上、難しそうな所はある程度想像はつく。 それだけでなく、結構苦戦しそうだと言うことも容易に想像がつく。(僕はそれ程器用ではないのだ)。
これから、この三味線のバチのような板を組み合わせて16個のラッパを作り、それを8個ずつ束ねて2段4列のマルチセルラーホーンを作らねばならない。 しかも、そのホーンとホーンの隙間に石膏を流し込むと言うのだ。 
 ホーンが届いた翌日の夕方、桝谷さんから電話が入った。
「ホーンの組み方は『ステレオ装置の合理的なまとめ方と作り方』に書いてあるとおりやれば絶対完成出来ます。」
「分かりました。 不器用ですけど頑張ってやってみます。」
「大丈夫、器用不器用の問題やない。 根気あったら必ず完成出来るから。」
「それから、一応、家の電話番号教えときまっさかい、何か解からんことあったら家にかけてくれてええさかいね。」
と言って、桝谷さんの家の電話番号を教えてくれた。

 それからは試行錯誤の連続。
解からんことがあったら電話しておいで、と言われてはいはいと電話してたんじゃあまるで能なしだ。 
結局、電話はかけることなく何とか完成に漕ぎ着けた。
ここで製作記でも書ければいいのだけれど、その後、ネットで見つけたこちらのサイトをご覧頂く方が、僕の製作記などよりはるかに参考になると思うので製作記は割愛。 


チャンネルデバイダーの調整


 これで全てが完成と言いたいが、そうはゆかない。 これからが本番。
プリアンプ(Mark−8D)の上蓋を外すと、入力基盤に10個(5系統)と信号基盤に2個の半固定ボリュームが付いている。(信号基盤のボリュームは基盤の裏表に1個ずつ付いているので、上から見ると11個のボリュームが見える。)
 まず、全てのボリュームを中点にセットして、メインボリュームを完全に絞った状態でCDをスタートさせる。 メインボリュームを11時の位置にセットしてから、CDの信号が入ってくる側と出力される側のボリュームを調整して、好みの音量になるようにする。 何故、こんな事をするのかと言うと、桝谷さんによれば、このキットのメインボリュームは11時の位置で一番音質が良いのだそうだ。 それから、このようにソース毎に調整しておく事により、ソースを変えた事でボリュームの絶対音量が変化しないメリットが得られるらしい。
 因みに。信号基盤の半固定ボリュームは中点か、せいぜい2時の位置くらいでセットするのが僕は良いと思う。
これ以上右に回すと、高域がきつく感じられた。(説明書には、マルチシステムの場合、右一杯にセットすると書いてある。)
この作業を、僕の場合だとチューナー、CD、カセット、MDで行う。

 それが終わればいよいよチャンネルデバイダー(SDV-202)の調整。
右写真がデバイダーで、2つの大きな摘みはカットオフ周波数調節用の摘みで、600Hz〜6KHz間を高低それぞれ自在に設定出来るようになっている。 つまり、どの周波数でウーファの受け持ちを切り、どこからホーンドライバーを受け持たせるかという事を自由に設定出来るようになっている。 カットオフ周波数と言われても今一ピンと来ない・・・・・で、取り敢えずは12時の位置、1KHz にセットして調整を始める。
 同じ写真で、4つある小さな摘みはウーファとホーンの音量を調節する摘みで、それぞれ左右セットで4個ある。
調整はこれらで行うのではなく、これらは調節用の摘み。 調整(一度位置を決めてしまえば、基本的には動かさない。)はデバイダー内部にある半固定ボリュームで行う。 つまり、この半固定ボリュームを調整して、ウーファとホーンの音量をあらかじめ決めておき、音楽鑑賞時の音質調節は操作パネル上の摘みで行う。 説明がややこしくなったが、基本的に、半固定ボリュームも、このパネル上の摘みも、その役目は同じって事だ。 

 まず、パネル上の4つの摘みをすべて12時の位置にセットする。
この状態で、半固定ボリュームを調整して、ちょうど16cm一発で聞いていた時のような音バランスになるように調整してゆく。
だいたい、聴けるバランスに調整するのはそう難しくは無いが、細かなニュアンスまで追い込むとなると、皆さん苦労されているようだ。 16cm一発の音と言っても、そう正確に覚えている訳ではない。
 ただ、僕の場合は昔、ギターをやっていた頃のテープや、アンサンブル、オケのCDもあるのでそれを演奏して調整した。
5年間、毎日毎日自分で弾き、また、校内外のコンサートホールの舞台や客席で聴いた音がまだ体に残っている。
簡単な話で、練習中、リハーサルの時と同じで、曲作りと同じ要領で半固定ボリュームを回して調整する。
 ちょっと心配な時は、デッキに直接ヘッドフォン(オープンエア式)を差し込み、スピーカーから出てくる音と、ヘッドフォンの中で再生される音を聞き比べてみる。 これだと、同時に両方の音が聴けるので、不安なときはちょっとした手助けになる。 この方法で、あらかたの調整はその日のうちに終了。

 次にスピーカーのセッティング。
ウーファはそれ程シビアでないが、ホーンの向きは結構シビアだ。
僅かに動かしただけでも結構、定位がブレたりする。
この調整はモノラルのCDを再生して、音が中心にまとまるようにしてから、こんどはステレオ録音盤を再生して、音の広がり具合の確認を行う。 何度か試聴位置とスピーカーの間を往復して完了。


クリスキットでフルシステム

 毎度お馴染み、『ある貴神のための幻想曲』をセットして演奏開始。
なめらかで艶のある、それでいてまるで変光星の輝きに似た音の粒、響きが僕のオーディオルームに充満する。
オーディオ装置の音を聴いて鳥肌がたった経験はそれまで無かったのだが、ゾクゾクっと僕の腕に鳥肌が走る。 ギターの音や・・・・これは紛れもなく、僕が親しんできたギターの音、そのものに他ならない。 オケの音もいい。
 タンノイの場合、その性格からスピーカーの周りをすべて吸音して丁度良かったが、今度はちと訳が違う。
ふと思い立って、正面に長女が学生時代描いた大きな油絵を置いてみた。
少し不満だった低音がこれで解消され、締まりの聴いたいい音が響いて来る。

 不器用な手つきで悪戦苦闘したマルチセルラーホーンから出てくる高音は、ラッパの音も心地よく耳に届く。
高音と言えばキンキンした音を好む人もいるが、ここで聞こえてくる音は実に耳に心地よい。 実際、昼から聴き始めて、気付いたら夕食時だったことも何度となくあったが、耳が疲れない、体が疲れない、どっぷり音楽に浸っていられるこの空間は僕にとってまさに宝物といって良い。

 僕がオーディ装置に求める物、それは音楽を楽しませてくれる物である事。
どの趣味でもそうだけれど、その深みに填り込めば填り込む程に上を見ようとするものだ。 勿論、そんな向上心が、その趣味をより楽しくさせてくれる事は間違いないことだ。
 ただ、その事に傾くあまり、音楽を本当に心から楽しむ事が出来なかったり、いつも何かの不満を心の片隅にぶら下げていなければならないとしたら・・・・これは、僕の場合、全くの本末転倒と言う事態になってしまう。 僕にとって、このクリスキットのフルシステムは、もうこれ以上、あえて他の装置を探さねばならない理由を見いだせない装置と言えるかも知れない。

 フルセットの感想を桝谷さんに電話で伝えた事があった。
「フルセットまでする人はそう多くはありまへんけどな、苦労してみるだけの価値はありましたやろ。」
「あんたが淡路で初めてのユーザーやからね、そのうち、洲本で鍋でもつつきながらゆっくり話ししましょ。 それに、実業高校の同窓生もまだ何人かおりますのや。 出来たらおうてみたいなあ。」
残念ながら、この約束はもう叶えられる事は無い。
父が桝谷さんの先輩にあたる筈なのだが、そう考えると、まだまだ長生きしてほしかった人である。