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小さな透明ケースの中にその子たちはいた。
一見人形のようにも見えるが、そこにいたのは紛れもない、ホルマリン漬けにされた幼児たちの変わり果てた姿だった。 ここはベトナム、ホーチミン市にある戦争証跡博物館(War
Remnants Museum )の展示室の一角。 そして、ここに展示されているのはベトナム戦争の中、米軍が投下した枯れ葉剤で奇形化して生まれ、死んでいった幼児たち。
どこが奇形なのかはこの写真をよーく見てほしい。
僕の父は先の大戦で右足を根本から無くしている。
父が若い頃夢見た人生、戦争によって果たせなくなった夢、そしてその後の父の努力と苦悩、90歳になってなお時々父の足を襲う想像を絶する激痛との戦い・・・・・・「亡くなっていった人たちの無念を思えば、こんな痛さなんか何でもない」、そんな父の言葉をこの子たちを見ていて思い出した。
いったいどれほど、何度、人類は戦争を繰り返したら気が済むのだろうか?
いや、人がいる限り戦争は決して無くならないのかも知れない。
黒沢明の映画で『椿三十郎』と言う映画があるけれど、その中で、三船敏郎扮する三十郎が助けた家老の奥さんからこんな事を言われるシーンがある。(正確な言葉は覚えてないが・・・・)
「あなたの刀はギラギラと光ってよく切れそうです。でも、本当に良い刀はいつも鞘に収まっているものですよ。」
恐らくいつの時代になっても人間は兵器を作ることを止めないだろう・・・・そうは思いたくはないけれど。
ならば、この刀の話のように手入れは常に最良の状態で、これを扱う技能にも磨きをかけ、それでいていつも鞘に収まり、やがては朽ちていくのが一番幸せなのではないだろうか。
この博物館を離れるときにふと思った、
「この国の人たちがたとえば、自分たちの尊厳を傷つけられるような侵略行為を受けたとき、彼らは戦争はもう嫌だと無抵抗にその侵略を許すのか? それとも再び銃を取って信じる物のために戦うのか?」
同じ質問を自分自身にも問いたい。 |
2010年5月
以前からネゴしていたベトナムの会社と取引を始めるため、その商談にホーチミン市を訪れる機会を得た。
3泊4日の短い出張ではあったけれど、土曜の夜中に到着したため翌日は丸一日フリータイム。
毎度のことだけれど、初めての街でも僕は地図片手に街歩きするのが好きでない。
出張の数日前、図書館で借りてきたガイドブックに目を通し、地図で建物や公園などの大まかな位置関係を頭に入れておく。 自分の行きたい場所は決めてあるので、泊まったコンチネンタルホテルからのルートを事前にシミュレートしておく。
この街だと地図はいらないだろう・・・・・いつもの通り、もし迷って行きたい所へ行けなくても、まあそれはまた次の機会に行けばよい・・・・・なんていい加減な・・・・とは自分でも思うんだけど、それがまた楽しい。
サイゴン大教会、中央郵便局から統一会堂の横を通ってからずいぶん歩いた後ビンタン市場に到着。
広い市場の中を一通り味わってから、今度はベンタイン市場へ行き、ここでも市場の雰囲気を満喫してから統一会堂に戻って中を見学し、次は戦争証跡博物館をじっくり見て回る。
あとは宛もなく街中を行きたい方に自由に歩き回る。
40℃を超える気温の中、帽子もかぶらず水筒やペットボトルも持たずに歩き回っていたので、さあホテルへ帰ろうと思った時にはさすがに疲れていた。 おまけにホテルのある方向も分からない。 道しるべにすべきランドマークも何も見あたらない。 まあ、日が暮れるまで時間があるしと思いながら、こちらと思う方向に歩くがただ時間が過ぎ、体力が消耗してゆくばかり。
「こんなところで行き倒れになったらしゃれにもならんなあ。」
何がすごいって、朝から一度もトイレに行っていない・・・・つまり、水分がすべて汗になって出てしまってるってことか。
このままじゃまずいと思い、通りすがりの人に道を聞くがなかなか英語が通じない。
色々教えてくれるが、どうやらとんでもない場所に来ているようで(まあ、それは雰囲気で分かってはいるのだが・・・・)、歩いて帰るなんてとんでもない、タクシーで帰りなさいと言っているようだ。
仕方ない、通りがかりのタクシーを止めてホテルまで行くように伝える。
運転手は英語が話せるので話してると、この天気のなかであんた、外気温見てみなさい、40℃はあるよ。 現地の人間でも水分も採らずそんな距離歩く人間は少ないよ。 と、たしなめられてしまった。
今日歩いたコースを分かる範囲で話すと、少なくとも20km以上は歩いてる計算になるらしい。
若い頃はこの程度でここまで疲れることも無かったことを考えると、やっぱ年かなあ。
写真の教会はサイゴン大教会ではありません。
名前は分からないけれど、何となく気に入ったので撮影。
右端の写真は泊まったコンチネンタルホテルです。 昔、インドシナと言う映画があったけど、その撮影にも使われたホテルで植民地時代の雰囲気を残した雰囲気のいいホテルだった。
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