カンフーと体落とし(ソレント〜ポンペイ)

 
青の洞窟を楽しんだ後、折角地中海の小島に来たんだから海水浴をしようと言う事になり、僕らは再びマリーナ・ピッコラに戻った。 僕らがごろ寝をしたインデアンハウスの横に有料の小さなビーチがある。 入場料の300リラを払ってビーチに出ると、ここは人工のビーチだろうか? 砂の感触がちょっと違う。 
 ビーチで一頻り地中海を楽しんだ後、シャワーを浴び、アナカプリからカプリ地区を散策。 小さな店が色々あって、買い物をしなくても周りの雰囲気を味わうだけでも楽しい。 

海水浴場で マリーナ・グランデで マリーナ・グランデで ソレント行き水中翼船

 預けてあった荷物を受け取り、ケーブルでマリーナ・グランデに降りる。
これからソレント経由でポンペイに行くと言うのが僕らの予定だけど、船は出た後で、水中翼船しかないと言う。 料金は何と1400リラ・・・・・高いが、水中翼船に乗れると言う誘惑には僕も勝てなかった。 僕が小さい頃、そう、小学生の頃だったか、洲本〜神戸間に水中翼船が就航していた事があった。 ただ、料金がばか高かった事を覚えていて、家族で神戸へ出かける時は汽船を利用していた。 まあ、水中翼船に乗るのは、飛行機に乗る事とさして変わらぬ僕の夢の一つでもあったわけだ、
 出航は19:45と言うから時間がたっぷりとある。
港の広場にある小さな店でパンやドーナツを買い、ちょっと早めの夕食をする事にした。
店の横に石の階段があって、そこに色んな人が座ってなにやら楽しそうに話している。 僕らも、その中に座って夕食をしていると、自然と会話が始まって言葉が分からないままにも、いろいろと話が弾んだ。 その内、仲良くなった3人の女の子達の写真を撮ると、今回も彼女達が住所を書いたメモをくれて、撮った彼女たちの写真を送って欲しいと言う。 住所を見ると、彼女たちはナポリから遊びに来ているらしい。 ワイワイと楽しく話していると、横にいたおじさんが船の時間だぞと教えてくれた。 おいおい、出航の1分前やないか・・・・・慌てて船に乗る。

 生まれて初めて乗る水中翼船。
子供の頃、何度港の白灯台に登って見詰めていたろうか。
一度は乗ってみたかった水中翼船・・・・その水中翼船にまさか地中海くんだりまで来て乗れるとは。
扉が閉められ、岸壁を離れると船は微速で港の中を進み始めた。 やがて、エンジンの音が一際大きくなり、まるで飛行機が離陸する時のような感覚でグーっと船体が水面から浮かび上がる。 早い早い、これまで乗ったどんな船より速いぞ。
 僕が小学校5年の頃まで、洲本〜神戸に就航していたのは蒸気船だった。
そして6年になった頃、ディーゼル船の「すもと丸」と「あわじ丸」が就航する。 船足はそれまでの12ノットから一気に16ノットになった。 これだけでも随分と早くなったなあと感じたものだ。 それがどうだ、この速度はまるで車に乗って走ってるような感じで、海の上をすっ飛んで行く。 快適そのもの。 いやあ、これは1400リラ出しただけの価値はあったね。

 陽の傾きかけたソレントに上陸したのは20時20分頃。
急な断崖が港の横にそびえ立っている。 ソレントの街はあのカプリと同じで、港よりかなり高い所にあるが、ケーブルなんてない。 ザックをしょって坂を登って行き、バス停を探して私鉄駅行きのバスに乗る。 その頃には辺りは既に薄暗くなっていた。
 小さな駅に着いた僕らは早速、ポンペイまでの切符を購入してホームで電車を待つ。
待っていると、背の高い駅員らしい男が近づいて来て、僕らに「カラテ」と言いながら正拳突きの格好をする。 僕が「ノーカラテ、ジュードー。」と言いながら自分を指さした。 するとその駅員は柔道を教えろと言うような格好をする。 「いいよ」ってな動作をすると、彼は僕らを駅の待合室のような所に連れてった。 「さあ、何かやってくれ。」というような姿勢でこの駅員がいるので、僕は一番簡単な腰車をゆっくり彼にかけ、彼が足からちゃんと落ちるようにゆっくり投げる。 「何でこんな事で感激するねん?」不思議な位、この駅員が喜んでいる。 ワイワイやっていると、もう一人、駅員がやって来て「俺を投げられるか?」ってな格好をする。
 しゃあないなあ・・・・と思いながらも、彼の制服のボタンを飛ばさないよう奥襟を持って構える。
「ホンマにええの? OK?」と聞くが、やってみろっていうような仕草。 ではでは、と一気に体落としを掛ける・・・・・ドスンと言う鈍い音と共にその駅員が待合室に叩きつけられた。 彼の制服に白い埃りがたっぷり付いている。 痛そうな顔をしながらも埃をふるいながら彼が立ち上がった。 「まずいなあ、喧嘩になるかなあ。」と思っていると、喧嘩になるどころか、その駅員、えらく嬉しそうにしている。 と、さっき投げた駅員が時計に指を当てて、はよ電車に乗らないと遅れるでっていうような事を言っている。 「えらいこっちゃ。」 ザックを片背負いして電車に飛び乗る。
 国鉄の列車と違い、どちらかと言うと地下鉄のように小さな車体の電車に乗り込むと程なくしてドアが閉まり、電車が動き出した。 車内は比較的に空いていたので、僕らはみな席に着くことが出来た。 窓の外はもう暗く、時々、家々の明かりが窓の外を素早く駆け抜けていく。 なんだかなあ、昼間は全く里心なんて感じないけど、こうして通り過ぎる町明かりを見ていると家の事が頭に浮かんできた。
 車掌が隣の車両から僕らの車両の方に向かって歩いてくる。
どうやら券礼らしい。 「おやおや」さっきホームに沈めたおっさんやないか。
駅員だと思っていたら車掌だったらしい。 「Are you OK?」と聞くと、「なんてことない」って言ったんだろうか、イタリア語でなんとか一言言って、敬礼の格好をする。 こっちも敬礼を返すと、次の人の所へ券礼に歩を進める。 でもやっぱり、少し痛そうだ。

 ポンペイに着いた時、外はもう真っ暗。
取り敢えず駅を出て少し歩くと小さな公園がある。 今夜はどこで夜を明かそうかと3人で話していると、なにやら、僕らの周りに人が集まってきた。 「カンフー」だの「カラテ」だのと言っている。 「何やこいつら」と思っていると、4人の男が僕らに近づいてくる。 中に一人、大男がいるではないか。 雰囲気的には、ここに集まっている連中、みんなやばそうだ。
 たしか小村さんは空手、田中さんは合気道をやっていたと言っていた。
それにしても、この人数じゃあちょっとまずいと少し不安になりだした時、件の大男が僕らに話しかけて来た「日本人か?」と聞いているらしい。 「そうだ」と小村さんが答える。 それから話が始まったが、話してみるとやばい雰囲気どころか、彼らは僕らに興味津々で近寄って来たようなのだ。 どうやら、こっちでカンフー映画(言葉の意味も分からなかったが、武道のようだと解釈した。 当時、まだ『燃えよドラゴン』は日本で公開されてなかったと思う。 少なくともぼくらはその映画もブルース・リーも知らなかった。)がヒットしていて、その影響らしかった。 
 この大男、一年程柔道を習っていて、今はグリーン・ベルトだと言う。
日本の写真を見せて欲しいとせがまれたが、残念ながら3人ともそんなもの持っていない。 
僕が柔道、田中さんが合気道、小村さんが空手が出来ると言ったもんだから、彼らの興味を必要以上に引いたらしい。 でも、僕らにとってはそんな事より、今夜寝る場所の方が遙かに大事な事。 近くにキャンプ場がないかと田中さんが聞くと、あると言う。
 さっそく、その場所へ向かう事にした。
一瞬ヒヤリとしたものの、逆にえらく歓迎されて名残を残しながら僕らは公園を後に、教えられたキャンプ場に向かう。
暗い一本道を教えられた方に歩いていると、先の方を僕らのようにザックをしょった2人の白人が歩いている。 追いついて、ハローと声をかけ、暫く話しながら一緒に歩く。 彼らはイギリス人だと言う。 途中で彼らと別れ、更に少し歩いた所に教えられたキャンプ場があった。

 暗い木立の中、裸電球が灯っている所がある。
そこには幾つかの椅子とテーブルが置かれていて、その場所だけぽっかりと闇の中に浮かび上がっている。 その場所に近づいて行くと、キャンプ場の管理人だろうか、僕と同じ位の背丈だが、がっちりした体格のおじさんが話しかけてきた。
 宿泊、いやテントなんか借りるの勿体ないのでごろ寝手続きをして(と言っても、料金を払っただけ。)、近くの木の下に3人のザックを置く。 シャワーは自由に使えるとのこと。 シャワーの前に腹が減っているので遅い夕食にしようと言う事になったが、近くにレストランも店も無い。 管理人のおじさんがいる場所で果物を売っていたので、僕は洋なし2個とオレンジを1個買った。 田中さんがカプリで買ったコーンフレークを持っていると言うので、それを3人で分けることにした。 彼が管理人さんの所で牛乳を買ってきてくれた。 皿も彼のを借りて早速夕食・・・・・おっと、てっきりコーンフレークは味付きだと思っていたら、これがまったくのプレーン、砂糖も入っていない。 それまで味付きのしか食べたことがなかったので、流石に物足りない感じだ。 どうやら皆同じようで、「こりゃあ失敗だったなあ。」と笑いながら田中さんが言う。
 食後、3人それぞれの住所と名前、電話番号なんかを交換しあった。
話は先に飛ぶが、この旅の後、僕は二人に再会している。 帰国後、小村さんの大阪の下宿にお邪魔したし、田中さんとは数年後、ロンドンで再会した。 田中さんはあれ以来ずっとヨーロッパに滞在していて、そろそろイタリア辺りから漁船を乗り継いで日本に帰ろうかなんて事を言っていたな。 

 零時20分 電球の下で日記を書いている。
一日あったことを思い出しながら書き進んで行くと、今日も一日、色々あったなあ。
その日の出来事が多ければ多いほど、一日が長く感じられる。 この旅を初めて以来、1日が、日本に居る時の時間感覚で言えば2日も3日も過ぎて行くような長さで感じられる。 裸電球の明かりの向こう、暗く沈んだ空間を見ていると、今まで過ぎてきた欧州での時間の断片がその闇の中に浮かんでは消えていく。 なんだかもう何年もこの欧州を旅しているような錯覚に陥る。
 「お先に寝るよ」
田中さんはもう寝袋にくるまって寝る体制に入っている。
僕は手洗いに行ってから、寝袋にくるまった。