SEIKO






小学校の修学旅行と言えばもう何十年前の話になるだろうか?
旅行先ではそれ程自由時間がある訳でも無かったが、旅行に行けば絶対に時計がいると、父にせがんで買って貰った時計がこのセイコー。

僕の父は、何の努力もせずに何かを買ってと頼んでも何もしてくれない人だった。 まあ、小さい頃はそうでは無かったが、小学校5年位になると、何か欲しいものがあると小遣いを貯めて物を買う事が当たり前のようになっていた。

天体望遠鏡が欲しくなった時もそうで、あの頃は毎日、幾らか小遣いの一部をせっせと数ヶ月かけて貯めたもんだ。 欲しかったのは口径8cmの屈折望遠鏡自作キット。 レンズとアイピース、それに何と、厚紙製の鏡筒がセットになったもので、当時、¥1,700位だったと思う。 

やっとの思いでキットを買い、無事に組み立ててはみたものの、それを支える架台が無いので、初めて自作の望遠鏡で月を見た時は、鏡筒を物干し竿に乗っけて見た。 翌日、いつものように、仕事を終えて帰宅した父は何やら大きくて、重そうな箱を抱えていた。 足が不自由な父にとって、そんなに大きな箱を抱えて自転車に乗る(片足でペダルを漕ぐ)のは危険だし大変だったろうに。

「これ作れるか?」
僕に差し出されたその箱は、買ったキットに使う架台と三脚の組み立てキットだった。 結局、父に手伝ってもらって無事、望遠鏡が完成した。

そんな父が無条件に買ってくれた時計。
以来、中学の修学旅行、高校時代の欧州一人旅、高校の修学旅行、そして渡欧してからはロンドンでも、欧州旅行でもずっと僕の腕で働き続けてくれた。 高校時代の欧州旅行ではこの時計を付けたままカプリ島で海に入り、それが悪かったのか、帰国後、動かなくなったが修理で復活してくれた。

東京で働きだしてからは腕時計をしなくなったので、もう長いこと休んでいる。
今でも針を動かしてやると、暫くは動くがやがて又止まってしまう。
オーバーホールすれば復活するのだろうけれど、まあ、この時計は僕の記念碑として大事に机の中にしまってある。

因みに、バンドは高校時代に買った物で、僕はこの時計をブレスレットのようにして使っていた。 ぴっちりと腕にはめるのが好きでは無かったんだね。