決して器用では無い僕が、僕より器用でない友に頼まれて27年ぶりに船のプラモを作った。 何せこの大和を作る前に艦船モデルを作ったのは高校を卒業する直前の事で、卒業したら当てもなく一人でロンドンへ行こうと決めていた僕が何を思ったか、突然アメリカの戦艦ミズーリを買ってきた。 この時作ったプラモは今もあるが、とにかくプラモの箱を開けて一気に作ってしまい、あり合わせのプラカラーを塗って、プラカラーの色が無い部分は油性のマジックで仕上げた・・・・・間違ってもここにアップ出来る代物では無い。 今回はちょっとは気を入れて作ったとは言え、高校卒業以来作ったプラモは0戦2機に飛燕1機、それにタイガー戦車一両と、プラモの製作技術は18歳の時のまんま。 全て筆塗りで仕上げてあります・・・・と言うより、エア・ブラシ なんて持ってる筈もなく、こうするしか仕方がないんですね。(例え持ってても豚に・・・・・。) あっ、そうそう、依頼者のたってのご希望で、箱に入ってた部品は極力全部使ってあります。 つまり、本物の形状、武装・・・・・全て完全無視で作ってますから、何だこりゃあなんて文句はご遠慮下さい。 色も僕が好き勝手に塗ってます。(プラカラーの種類と量で結構左右されてます。) もっとも、僕自身も本物に近づけて、本物のまさにミニチュア版を作るって感覚は昔から持ってません。 尚、モデルはアリイの1/250スケールのもの。 もう30年近くも前の鋳型によるモデルなので、至る所バリと引けで、船体と甲板幅に2cmの誤差があり、船体内にはこの誤差修正の為補強修正材を航空ベニアで作って入れてあります。 他、艦橋構造物からありとあらゆる所で1mmや2mmの誤差は当たり前。 パテで修正、補正しているため彫刻でもやってる感じで製作。 |
艦隊決戦と言ってピンと来るのはトラファルガー沖や日本海海戦だけれど、残念ながら、この戦艦が生まれた時代はすでに艦船同士の砲戦で雌雄を決する時代では無くなっていた。 大西洋では幾つかの熾烈な艦船同士の砲撃戦が展開されたものの、太平洋での戦闘は日本がパールハーバーで証明した如く、もはや航空機動部隊が主力をなす時代へと変革を遂げていた。 この戦艦をみてると、僕が小さい頃から好きな新撰組の運命にだぶるものがあることに気付く。 もしこの船が大戦を生き残り、米軍によって解体処分にでもされていたとしたら、僕がここまでこの船に魅力を感じなかったかも知れない。 そう、僕にとって大和は単なる戦闘兵器ではなく、第二次大戦に生きた一つの魂と同じなんだと思う時がある。 |
以下の写真はちょっとそっれっぽい加工にしてみました。 果たして、本物の質感がでてるでしょうか? |
『悲愴』より第二楽章
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