Central School of English 窓口にはちょっとがっちりした体格の日本人がいて、この人が日本人と言わず訪れた人の応対をしている。 入学したい旨を話すと、早速学費の話や何やが始まり、シェークスピアの時と同じようにクラス決めの簡単な試験。 択一式の試験だが、これは当てずっぽうを書いても意味が無いので、解らないところは空欄のまま提出した。 内容を手早くチェックした彼は僕にエレメンタリークラス(初級)へ入るよう薦めたが、僕はビギナー(本当の初歩)を希望した。 |
ブルースカイ スイスの旅から帰ってからも、それまでと同じような日々が続いた。 Home Index |
クリーブロードのフラット 僕達が結婚届けを大使館に出すに先だって、僕達が住むフラット探しを始めた。 彼女がオペア先のストラウス夫妻にこの事を告げると、通いでも良いとの許可をくれ、更に、給料を大幅に引き上げてくれた上、もしその気があるならと、婦人の友人2人を新たなオペア先として紹介してくれた。 つまり、少しでも実入りが良くなるようにとの気付かいであったと思う。 実際、この時紹介してくれた婦人の友人とはオペアの主従関係というより、友達つき合いをさせて貰い、ロンドンで生まれた長女が先年、ロンドンへ1カ月行った時にはこの方の家にまる1カ月間、居候させて貰った・・・・約20年ぶりの再開である。(もっとも、長女にロンドンでの記憶などあろう筈も無いが。) この方の家のキッチンに小さなマスコット人形が飾られている。 それはもう二十数年前、僕の嫁さんとなったHMが作ってその方にプレゼントしたもの。 長女が撮影したキッチンには、その人形が初めてこの家に来た時の姿のまま、同じ位置に何気なく置かれていた。 この老婦人が長女に曰く「Mだと思って今も話しかける事があるのよ。」 僕がいたフラットのおかみさんに結婚の事と新居探しの事を話すと、家賃はそのままでいいから、良ければこのままいなさいと言ってくれた。 ベッドもダブルベッドを買ってやるからとまで言ってくれた。 部屋の広さは2人暮らしでも不自由は無いが、彼女が仕事に通うにはちょっと遠い(2駅だが)のと、もう少し広い部屋が欲しかった。 ウエストハムステッドの地下鉄駅を出て道を渡り、右の方、ウエストエンドグリーンの方にちょっと行くと、中古のテレビ屋と並んで日本で言うところの不動産屋がある。(今もあるだろうか?) 1週間程フラット探しをしていた僕達だが、何度も前を通っているにも関わらず、この不動産屋の存在には全く気付かずにいた。 隣の中古テレビ屋に置いてある、何台もの真空管式TVが懐かしくて見ている内に、この不動産屋の存在に気付いたのだ。 中に入って聞いてみると、すぐ近くにいいのがあると言う。 早速、そのフラットの大屋さんに連絡を取って貰うと、今見に来ても構わないと言う。 場所を地図で見せてもらうと、何のことはない、キルボーンからストラウス家に向かう途中、いつも彼女を送る時に通っている道ではないか。 僕達は徒歩で教えられた住所の所まで出向いた。 毎度見慣れた景色の中にそのフラットはあった・・・・「なんや、ここかいな。」前を通る度に「古そうな家やなあ・・・・100年経っとるかな。」等と話していた家だ。 煉瓦製の塀があり、門を入るとこの辺りにしては広めの前庭がある。 庭には色んな花が植えられていて、その中を5m程進むと石段が玄関へと続いている。地面から半分程、ベースメントの窓が見えていて、グランドフロアはちょっと高くなっている。 石段を上がると、ステンドグラスの付いた緑色の大きな扉、右手には古そうな呼び鈴が幾つも並んでいる。 幾つか並ぶ名前の中で、教えられた大屋さんの名前が一番上に付いている。 呼び鈴を押そうとすると扉が開き、中に60歳前後、ちょうどストラウス婦人よりちょっと上位の年齢の女性が笑顔で迎えてくれた。 促されるまま中に入ると、幅3m程の廊下が奥のホールのような所まで続いており、その両端とベースメントが大屋さんの部屋らしい。 床は細かいタイルのような物でモザイクになっていて、イタリアのポンペイ遺跡で見たのにちょっと似ている。 廊下の両端から奥にかけて骨董品のようなものが幾つか置かれ、ホールは大きな吹き抜けになっている。 その突き当たり、踊り場の下は公衆電話室になるのだろうか。 小さな部屋で公衆電話が置いてある。 左手からゆったりと幅のある階段がこの吹き抜けに沿って上に昇って行く。 天井が高いせいか、各階の間にはとても広い踊り場があって、骨董もののテーブルや椅子が置かれている。 窓もやはりステンドグラスの入った、大きなものだ。 僕達の部屋は2階、そう、日本式に言えば3階に当たる。 1階と2階の間にある踊り場は風呂場になっている。 風呂場の扉を開けると、6畳程の部屋になっていて、左手に白い大きなバスタブがドンと置かれていて、扉の正面の高い所に窓がついている。 これはでっかいタブだなあ、あのウクライナホテルにあったのと同じ位にでかい。 その気になれば大人2人で入れない事もない。 このタブがそのままデンと床の上に4本の足で立っている、これはいいね。 ウクライナホテルのもそうだったよな・・・・そうそう、ポパイに出てくるバスタブもこんなだし、西部劇なんかで出てくるバスタブもこんなんでした。 2階まで上がり、階段の真向かいの部屋が僕達が入るかも分からない部屋。 部屋に入ると、正面に二つの窓があり、右手には小さなキッチン・・・・オーブンもある。 白い暖炉の中にはガスストーブが埋め込まれている。 ソファーが2つに、小さなテーブル。 窓際には食事用なのか、ちょっと大きなテーブルに椅子2つ。 他には本棚や造り付けの戸棚、結構広いではないか。 調理用のガス代は不要だが、ストーブはコインタイマー制。 電気は、室内灯は部屋代込みで、それ以外のコンセントからのはコインタイマー制になっている。 風呂に入る光熱費は部屋代込みだという。 つまり、生活に必要な基本料金は部屋代込みで、それ以外はコインタイマー式と言う訳だ。 しかも、この家には家政婦さんがいて、廊下や風呂、トイレの掃除はしてくれるが、週1階、希望すれば僕らの部屋の床掃除もしてくれると言う。 廊下の端っこに、大きな、そしてかなり重そうなフーバー(掃除機)が置いてある。 部屋代は週£15.00だから僕がいるフラットに比べて高くはなるが、今度は2人であることを考えればむしろ安い位だ。 僕達は躊躇なくこのフラットへの入居を決め、その場で大屋さんに1週間分のデポジットと、1週間分の部屋代を支払った。 不動産屋には1週間の手数料を支払い、総ての契約(契約書なんて無いが)完了。 一週間後の日曜日の朝、僕達は最初の荷物を持ってこのフラットに出かけた。 部屋に入ると、食卓の上に花が生けてあり、その花の周りに何枚かのカードが立てられている。 花は大屋の奥さんと、妻・・・そう、もう妻となったんですねMTも・・・・の友人からだそうで、カードは友人やストラウスさんが届けてくれたのだという。 この大きくてくたびれかけたフラットが僕は大好きだ。 何せ古いのでコンセントだけでも3種類も違う型式の物がある。 トイレの便器のお尻が当たる部分、弁座は木製。 階段や廊下にひかれたカーペットはすり切れ、そうだそうだ、ジェルジンスキー号のカーペットもそうだった。 廊下や階段は広さの割に貧弱な照明のお陰で、陽が落ちると灯りを付けても薄暗い。(廊下や階段の照明は、夜間でも普段は消えていいる。 大きな押し込み式の押しボタンを手の平でグイっと押し込むと灯りがともり、上階に行った頃、これが自動的に切れる。 グランドフロアから僕らの2階まで行って、部屋の鍵を開けるには都合3回、このスイッチを押し込まねばならない。 うっかり、階段や踊り場で話したり、まごまごしていると勝手に電気が消えてしまい、上なり下なりのスイッチまで月明かり、星灯りで行かねばならない。) 父や母の実家、特に父の実家は藁葺き屋根の家で、僕が小学生の頃で築250年と聞いていたが、その家に行った時に感じる安らぎのようなものをこのフラットに感じる。 とても不器用そうなのだが、味わいのあるフラット、いや家だった。 そして同じように、この屋の大屋さんもとても味わいのある英国人だった。 Home Index Next |