ノートルダム大聖堂とサント・シャペル 3日目、今日は7時に目覚めた。 今日はスイスに移動するつもりだったけど、まだルーブルにもノートルダム寺院にも入っていない。 スイスには明日行くことにして、ホテルのマダムに宿泊を一日延ばせるか聞いてみるとOKとのこと。 そうと決まれば今日一日、のんびり美術館と教会巡りでもしよう。 カメラを持ってエッフェル塔に出てから、イエナ橋を渡ってセーヌ河の対岸に出、川沿いにアレクサンドル三世橋の方へ歩き出した。 暫く歩くと、突然、斜め前にいたお兄ちゃんが僕に向かってカメラを構えて、シャッターを切った。 何や、僕そんなに有名だった? と不思議そうにしていると、その白人お兄ちゃんと側にいたお姉ちゃんが僕に何やら話しかけながら近寄ってくる。 お姉ちゃんのほうはポラロイドカメラを胸にぶら下げている。 言ってる事は解らないが、どうやら記念写真をF15で撮ってやると言う事らしい。 「Fr15・・・・こいつらアホか? 僕が泊まってるホテルがFr13やのに、写真撮って貰うだけに何で15フランも支払わんなんねん。」 言葉が解らないので、手を振っていらないよって言うと、今このカメラで1枚撮ったので、ここにアンタの住所を書いてくれれば送るから、Fr10支払えと言ってるらしい。 流石にカチンと来た僕は、自分のカメラを取り出して言う「ええか、コレは僕のカメラで、ここにセルフタイマーがついとる。 自分でも撮れるし、誰かに頼んだら喜んで僕を撮ってくれるねん。 何でお前にお金払ろて写真撮って貰わんなん?」 大きな声でこのお兄ちゃんに言ってやった。 言葉は通じないものの、何かを理解したのか?? さっき僕を撮ったハーフサイズのカメラを僕に見せて、これで撮ったんだから、その分は買ってくれってな感じの事を言ってるらしい。 「上等やないかい、そこまで言うなら、フィルム巻いてみんかい、ホンマにフィルム入っとるんだったら、このな、この軸がクルッと回る筈や。」と言いながら、相手が差し出したカメラの巻戻用ノブを指さした。 お姉ちゃんの方は、もうあかんワってな感じで一歩引いた所で僕らのやりとりを見ている。(このカメラ、フィルムは入ってないと僕は確信していた。 いかにも送るようなそぶりでノートに住所や名前を書いてと言っても、多分、送ってこないだろうな何も・・・・送れる筈がない、絶対フィルムが入ってないんだから。) 僕はそう言いながら、周囲にいる人の状況、このお兄さんがやばい物持ってないかなどを何気なく観察する。 周囲を観察するのは仲間がいないか、通りがかりの人の状況や近くに警官いないかを見るためで、相手を観察するのは、当然、急に凶器でも出されたら困るからだ。 流石に大声で僕が話している事もあってか、相手はもういいといった感じで僕から離れていった。 大体、相手をまちごうとります。 少ない旅費のため、食事と言ったらフランスパンを買って、これにバターやジャム塗って食べている。 栄養の為に八百屋でレタスやトマトを買って(レタスを見るの初めてだった)パンに挟むのが精一杯。 そんな僕に、シャッターをちょこんと押しただけでFr15も払えとはバカも休み休みにして欲しい。
気を取り直して、アレクサンドル三世橋まで歩き、そこを左に曲がると直ぐ左にグラン・パレ、右手にプチ・パレがある。 両方とも1900年パリ万国博覧会のパビリオン?として建てられた建物で、それぞれ博物館と美術館になっているが、プチ・パレは改装中なのか建物の周りに建設足場が組まれている。 建物を両側に見ながら大きな通りに出るとそこはシャンゼリゼ。 この大通りを右に曲がってコンコルド広場、チュイルリ庭園、カルーゼル庭園を抜けるとルーブル美術館。 ちょっと歩き疲れもあって、カルーゼル庭園で一休みする。 この庭園の中にはもう一つの凱旋門がある。 凱旋門と言えばド・ゴール広場のエトワール凱旋門がやっぱり有名だけれど、僕はこのカルーゼル庭園にあるカルーゼル凱旋門の方が好きだ。 シャンゼリゼ大通りはコンコルド広場を抜けると先に書いた二つの庭園に突き当たる。 そのまま、真っ直ぐ進んだ所にこのエトワール凱旋門があり、その更に奥に、まるでシャンゼリゼを両腕で包み込むようにルーブル美術館がある。 Fr1.2の入場料を支払いルーブルに入ると、いるいる、日本の団体さん達。 シャンゼリゼでも多く見かけたけど、観光地からずれた場所では日本人を見なかった。まして、モンパルナス界隈では殆ど見なかったが、流石、ルーブルだ。 僕はどうも、あのツアー・ガイドさんの旗の下、ぞろぞろついて回るというのが好きになれない。 高校の修学旅行もそんな理由と、修学旅行に支払うお金があったら今回の旅に回したいって気持ちから、参加しないといって親や担任を困らせたもんだ。 (結局は参加したんだけどね。) 美術が好き・・・・という訳ではないし、かと言って嫌いでもない。 第一、美術館なんて物に入ったことが無かった。 唯一、小学生の頃に京都にやって来たツタンカーメン展に両親と行ったことがあったくらいだ。 作品の価値は解らないけれど、教科書やカレンダーで見ていた物とは受ける印象が全然違う。 「これが本物ってもんか。」 館内を気ままに歩き回っていると、一人の女性と目があった。 何とも微妙な表情をしてるもんだ。 能面に似てるなあと、その女性を見たとき思った。 この絵のモデルが誰なのか、いろいろ議論があるようだけど、僕にとってそんな事はどうでも良い。 なんだかなあ、この絵を見てるとこの絵の作者、レオナルド・ダ・ビンチは特定の人(の姿)を描いたと言うより、人間の心を描いたんじゃあないかって思う。 辺りに人気を感じないこの絵の前で暫しの間、彼女と対話(出来る筈もないけど)してみて「私の姿は貴方自身の姿でもあるんだよ。」って言われているような気がした。
美術館を出ると小雨が降っている。 出口の前の階段に座って雨が止むのを待ち、今度はシテ島へ向かう。 現存する最古の橋と謂われるポン・ヌフを渡るとシテ島。 中世の橋は、道路の両端に家が建ち並ぶ、つまり道路の延長として造られていたらしい。 そう言えば、中世の絵など見ると、橋の両端にはしっかり建物が描かれている。 この橋になって、現在のような渡河目的の建造物としての形が形成された。 ポン・ヌフが最古の橋なら、渡った先のシテ島も古い歴史を持つ場所で、パリ発祥の地とも言われる。 この狭い島(中州みたいなもんかな)の中に、ノートルダムやサント・シャペルなどの教会、警視庁から病院、裁判所、それにマリー・アントワネットが収監されていたという独房があるコンシェルジュリーなどが所狭しと並んでいる。 順路から考えると、ノートルダムより先にサント・シャペルへ行くのが無駄がないが、ここはまずノートルダムに入ってからと、ノートルダム大聖堂を目指す。 日本の場合と違って、こっちの建物はどれも背が高いから普通に街を歩いていても、ノートルダムのような大きな聖堂でも気付かない場合が多い。 もっとも、ここを通るのは初めてではないので、今回は驚かなかったが、最初に来たときは流石に驚いた。 何度も書いたように、僕は地図を見ながら歩くのはあまり好きではないので、その時もぶらぶら、頭の中に描かれた地図と自分の勘を頼りにこの聖堂に向かっていた。 ふと、建物(市立病院?)の角を曲がった途端、大きなゴシック様式の聖堂が僕の目に飛び込んだ・・・・・これがノートルダム大聖堂。 1320年に完成したこの聖堂の中は思いの外暗く、 僕が幼稚園の頃、お祈りの時間の度に入っていた洲本の教会とは対照的だ。 奥に向かって歩き進み、丁度中央に差し掛かった所で、左右にバラ窓と呼ばれる大きなステンドグラスが見える。 振り返ると、西のファサードにあるバラ窓が、僕が歩いてきた方向、上の方から見事な色彩の光を降り注がせている。 こんなに天井の高い建物に入ったのは生まれて初めてだろうけれど、物が大きすぎて感覚が完全に麻痺してしまう。 ここは、ジャンヌ・ダルクの名誉回復裁判が行われた場所・・・・・一体どんな気持ちで裁判を受けたのだろうか。 この薄暗い聖堂にステンドグラスを通って差し込む光同様、この中で歌われるだろう賛美歌やミサ曲も多分、あの光のように頭上から降り注ぐように聞こえるんだろうなあと思う。 本来、神に祈りを捧げるだけなら、こんな大がかりな装置は必要無い筈だ。 ここは神の偉大さを体感するための、多分、疑似空間じゃないかと思う。 でも、その空間を作っている、演出しているのが人間である以上、神の偉大さを作り上げているのも結局、人間であって、人間が勝手に神を偉大な存在に祭り上げているだけの事・・・・・じゃあ、何故? 一部司祭の権力保持の為?・・・・・やめとこう、頭が痛くなる。 ここは、文句なく感動したでいいじゃないか。 外に出て、南のバラ窓の下で写真を撮っていると、日本人カップルに話しかけられた。 写真を撮ってと頼まれたので撮った後、僕も撮って貰い、そのままいろいろ話し込んでしまった。 今度はサント・シャペル教会に向かって歩き出す。 門の前に行くと警官が門の両側に立っている。 周りを見回しても観光客らしき人は見あたらない。 中をみても、どうやらいなさそうで、建物の外装の工事か補修をやっているようだ。 入れるのかどうか分からないのでその警官に、建物の中を指さして「中へ入れますか?」と日本語で尋ねると、当たり前の話だがフランス語で返事が返ってきた。 ははーん、これは工事中なので駄目だって事かなと思いながらも、今度は、聖堂の方を指さして、自分の胸に十字を切る格好をしてから、両手を合わせてお祈りの格好をして見せた。 すると、その警官はフランス語でなにやら言った後、道順でも教えてくれているようなそぶりをする。 「メルシーボック」と礼を言ってから、門をくぐり教会の中に入る。 ウロチョロして、二階の通路のような所を歩いていると、半開きになった扉の前に行き当たった。 中はなんだか暗そうな感じだが、そっとその扉を押し開いて中に入った僕は愕然とした。 暗い礼拝堂の中、目の前一面に広がるステンドグラスからこの世とも思えない不思議な光が降り注いでくる。 ノートルダムのとは違い、壁一面がステンドグラスと言った方が良い。 このおびただしい広さのステンドグラスが礼拝堂の中に不思議な光を注ぎ込んでいる。 中に入り、そっと扉を閉める。 中には誰もいない。 外の喧噪が嘘のように静まり、まるで万華鏡の中に放り込まれたような錯覚すらしてしまう。 闇と不思議な光の中でしばらくの間僕はこの空間を楽しんだ。 僕はこっちの教会の方が好きだなあ。 ノートルダムは、神が天上から人間を見下ろしていると言う感触を受けるが、ここは違う。 なにやら、もっと身近に、神は貴方のすぐ側にいるんですよと言っているような感じだ。 そもそも、ノートルダム大聖堂(我らが貴婦人)はシュリーと言う司教が、この都市に相応しい聖堂をと言うことで言い出し、造られた物だ。 司教と言えば神に仕える立場の人間だから、絶対神、偉大なる神の存在を疑似体験できるような演出を考えて不思議はない。 その事が自身の権力にも繋がるのだから。 これに比べて、サント・シャペルは宗教家でなく、ルイ9世が自身の信仰のために造らせた教会である事を考えると、このような造りがなんとなく理解出来なくもない。 教会を出た後、隣のサン・ルイ島、バスチーユ広場を経て、リヨン駅からセーヌ沿いに河畔を歩いた後、パンテオン、ソルボンヌ大学を巡ってモンパルナスへ戻る。 そうそう、ソルボンヌと言えば、今回の旅のちょっと前、僕はある人と感動的な対面をしている。 旅費を稼ぐため、毎日朝と夕方、バイトをしていたことはプロローグにも書いたが、旅行が迫ったある日、夕方のバイトで、僕が通っていたカトリックの修道院へジュースを運ぶ仕事が出来た。 自転車にジュースのケースを二つ積み、懐かしい修道院の玄関で呼び鈴を押した。 「暑いのにご苦労さま。」そう言いながら一人のマザーが笑顔で出てきた。 「ヒサコマザーですか?」 「あれ、○○○○君じゃないの・・・・・まあ、立派になって。」 僕が幼稚園に通っていた頃、一番お世話になったマザーだった。 彼女は僕が卒園後、確か別の地に転任されて(フランスだったと思う)それ以来お会いする事も無かったのだが・・・・・僕の記憶、そしてマザーの記憶も12年前のまま止まっている筈、いや、僕の記憶にあるマザーの優しい姿は、あの時突然現れたマザーの姿とそう違ったものでは無かったが、マザーにとっての僕のイメージは12年前の、小学校に上がる前の記憶しかないハズだ。 なのに僕の名前をフルネームで覚えていてくれたとは。 翌月、僕は欧州へ旅する事、このバイトはそのための資金稼ぎである事などをマザーに話すと、ソルボンヌに知り合いがいるから紹介しようかとも言ってくれた。 留学でもするつもりなら話は別だけど、単なる旅でお世話になるのも心苦しいのと、折角の一人旅、偶然の出会いを大切にしたかったこともあって、その事を伝えた。 ただ、もし何かあったらと、その人の住所と名前を紙に書いて手渡してくれた。 この近くにマザーの知り合いがいる・・・・・そう考えるだけで何か楽しい感じがしてきた。 そんな事を想像するだけで、僕には十分だったし、マザーがこの街に少し前まで住んでいたかも知れないと考えると、この界隈にとても親しみを感じるようになる。 |