台 湾 |
台北に、東甫(トビア)という小さな会社がある。 ここの社長と現地の展示会で初めて会ってから、かれこれ18年になる。 当時は出来たばかりの会社で、汚い貸しビルの一室に彼のオフィスがあった。 当時僕が勤めていた会社は各国に結構大きな代理店を持ち、あえてこのような小さな会社と取引するより、もっと大きな会社との取引の方が有利に見られた。 にも拘わらず、僕のボスはこのように小さな会社と、あえて独占販売契約を結ぶ。 以来、僕もボスも台湾へ出張しても仕事漬けのまま帰国する繰り返し。 早朝に出かけ、夕方まで客先周りの付き合い、客と夕食をし、ほぼ毎晩朝2時近くまで飲み会。 「彼らが帰ろうと言うまで、絶対に引き上げようなんて言わないで付き合って欲しい。」 「かんぺい(一気飲みを意味する)の催促はことわらないで。」 彼の注文に、酒に弱い僕だったが従う。 夕食を楽しめるのは半分まで、後は毎回、ほぼ吐きそう、そう、お腹のものがほぼ喉まで来てる状態で彼らと接し、吐きそうになるとゆっくりトイレに立ち、目眩や吐き気が収まるのを待つ。 一度はほぼ気絶状態になり、気が付くとディスコにいた。 みんな楽しそうに騒いでいる。 4年後には、彼の扱っている製品の売り上げがアジアでトップになり、僕が会社を退社する頃には全代理店でトップになっていた。 彼の真剣で真摯な働きが実を結んだと言える。 東京からUターンして淡路に帰り、今の上司から「台湾でいい代理店知らないか。」と聞かれた時、僕は躊躇無く彼の会社を紹介した。 早速2年ぶりのコンタクト。(クリスマスカードは僕の自宅に毎年届いていたが。) 「未知の分野になるが、何年かかってもmasaが取引を辞めると言わない限りやりましょう。」 彼はいつも真剣だった。 「いつか退職する日が来たら、一緒に台湾をゆっくり旅しましょう。 その日まで、観光は我慢して下さい。」 無論、異存ある筈も無く、結局、台湾の写真は仕事関連以外、こうしてアルバムを開いても見当たらない。 唯一、早朝に通過したこの博物院を除いて。 新たな出発の時、僕が台湾に行くと彼は僕に彼の自宅へ泊まるようにすすめた。 儲からない出張で僕の立場が悪くなるのを気遣ってである。 やがて、彼の兄が米国の某最大手メーカーを辞めて帰国し、社長に就任。 利益の上がらないウチの商品をやめて、より利益率が良く売り易いヨーロッパ製への転換を主張したが、彼はこれを拒否し、あえて僕との約束を選んだ。 「僕の頭は古いのかも知れない。 しかし、得ることの出来る利益より、失う友の方が僕にとって遙かに大きな損失だ。 利益が取れなきゃ、これから取れるようにすればいい。 それだけのことだ。」 昔、さんざ飲み歩いた顧客達の所を再訪すると、向こうから接待してくれる。 だた違うのは、昔と違って僕が少しでも苦しそうにしていると、黙って僕のグラスに並々とつがれた酒を、誰かが知らぬ間に飲んでくれている。 「masaさん、酒強くなったねえ。」そっと飲んだ本人が皆に向かって言う。 僕が最も苦しい、辛い思いをしたのがこの国。 にも拘わらず、この国は僕が最も愛する国の一つであることに変わりは無く、いつの日か、彼と台湾を仕事でなく、温泉にでもつかりながらのんびりと旅出来る日を夢見ている。 ※この約束は2016年から実現されていくことになる。(30年目の約束 台湾) |