トンネルを越えたら
マジョレー湖

 ブリークを出て暫く走ると列車はシンプロントンネルに吸い込まれて行く。 車内は新しいメンバーになってから誰一人会話を交わさないまま、静寂が支配している・・・・列車の騒音を除けば。 真っ暗な車窓に映る6人の顔を見ていて「ああ、僕はいま一人で外国を旅してるんだ。」と、今更ながら実感してくる。 
 ゴーという、列車がトンネル内を通過する独特の騒音が突然途切れた途端、窓の外が明るくなった。 シンプロントンネルと言えばとても長いトンネルのイメージがあるが、実際の所、全長はせいぜい2kmしかない。 日本の新幹線には及ばないものの、国際特急列車にとっての2kmなんてあっという間の出来事。 
 外は霧だか靄だか、うっすらと白い気体がかかっていて、スイス側の抜けるような青空とは全然違う、なんだかどんよりした重苦しい感じがする。 しかも、点在する小屋や家がなんだかモノトーンの質素な印象で心が少し重くなってきた。 「イタリアってのはもっと明るいイメージだったのに。」そう思い始めると、なんだかこれからの僕の旅を暗示しているようで、少しだけ不安が僕の心をよぎる。 

 何故だか何だか分からない、そんな不安な気持ちがやがて心地よい適度な緊張感へと変わっていく。 パリへ着く前の403便の中、ベルンへ向かう列車の中・・・・・どれも天候の悪さが少なからず僕の不安を誘った。 そう、宿を確保していないって事があるのかも知れないが、そんな不安もすぐに心地よい孤独感や緊張感へと変わって行く。 今回も同じだ。
 通路の方から車掌の声がして来る。
その声はだんだん近づいて来て、黒い制服に赤いショルダーバックを掛けた車掌が僕らのコンパートメントの扉を開いた。 横にはイミグレーションの役人らしいおっさんが立っている。 僕はユーレイルパスを見せ、横のおっさんにパスポートを見せると「何か申告する物は?」と、いやいや、日本語で尋ねられた訳ではないが、そう聞かれたようなので「ノー」と頭を横に振った。 一通りの手続きが終わると、この車掌が窓の外を指さしたので、列車は湖の横を走っている。

 「マッジョーレ」
この小太りで少しだけ恰幅のある車掌のおっさんがそう教えてくれた。
「マッジョーレ??」 僕は今までマジョレーだと思っていたんだけど、発音が違うらしい。
 いつだったろうか、『兼高かおる世界の旅』だと思うけど、この湖に浮かぶベスカトーリ島の紹介を見た覚えがある。 この湖にはいくつかの島があって、その中に教会だったか修道院だったかがある。 島に着くと港から階段があって、信者はこの階段をひざまずいたまま登っていく。 そんな光景を見た記憶があって、その時の印象が強く残っている。 
 この近辺は湖水地方とも呼ばれて、このマジョレー湖(この方が僕のイメージに近い)の他にコモ湖やルガーノ湖など大小幾つもの湖が点在する古くからの避暑地だ。 僕はこの湖水地方って言葉が大好きという事もあったので、気が向けばこのマジョレー湖畔にあるストレーザで下車して数日過ごしてもいいかなと思っていた位だ。 ただ、この天気では数日を過ごすにはちと勿体ないし、やっぱり、お金がある時にでも来なきゃあな。