一枚の写真

 ギターを本格的に学ぶため、帰国を決めた僕たちはぼちぼちとその為の準備に取りかかっていた。
そんなある日、僕はピカデリーで友達と会った後、ソーホーの露天市へ野菜を買いに立ち寄った。 普通に野菜を買うだけなら、別にわざわざこんな所に来る必要もないのだけど、今夜はすき焼きをすると言うので、家内に頼まれて白菜を買うために立ち寄ったのだ。 
 ソーホーは1600年半ばまでは王家の狩猟場だったが、1666年のロンドン大火災のあと、住宅地として開発された。
ソーホーと言う地名は、狩りのとき、お互いに掛け合うかけ声から来ている。
やがて、第二次大戦の後くらいから、それまで別の場所(ドッグエリア)に住んでいた中国人たちが、この地区に移り住むようになり、以来、ソーホーと言えばロンドンの中華街といったイメージが定着したようだ。 
 昼間は比較的静かなこの界隈も、夕方になると活気がみなぎってくる。
この辺りは性風俗の店が多く、以前勤めていたステーキハウスや、日本レストランのスタッフ達が頻繁に通っていたのを思い出す。 「Masa、お前もたまにはつきあえよ、1回たった5ポンドだぜ・・・・・」と言いながら、風俗店で撮ったのだろう、綺麗なブロンドの姉ちゃんの裸写真をよく見せられたもんだ。 そうかと思えば、カーナビーストリートのようにファッションのメッカと呼ばれるようなエリアがあったり、今日、立ち寄る露天市のような所もある。
 シャフツベリー・アベニューをちょっと入った所にある、その露天市が立つ通りへ出かけてみると、大小様々な荷車に野菜がどっさり載せられて売られている。 切り売りもしてくれるのだが、まな板など使わず、手に持ったままバッサバッサと野菜を切るので路上は野菜の切れ端が至る所に散乱している。 
 行きつけのおやじの荷車に行くと、あるある今日も、荷車に一杯の白菜が積まれている。
その中から、良さそうなのを一つ取り上げてからおやじに言う。
「もうじき日本に帰るから、これ安くしときなよ。」
「なんだって、お前さんは日本人だったのかい。 てっきり中国人かと思ってたよ。」
他愛のないやりとりで、少しは安く白菜を買いそれを持ってきたバッグに入れる。 でも、大きくてバッグが裂けそうだ。

 ちょっと重い荷物を提げてピカデリーサーカスに向かう。
日本レストランでバイトしてた時は毎日通っていた道を歩いていると、小さな旅行代理店がある。
レストランのすぐ近くの店で、店には入ったことがなかったが、時々、店先のパンフレットを貰ってきたりはしていた。
何気なくそのパンフレットに目をやると、古い、廃墟と化したような城の写真が僕の目に飛び込んできた。
 小高い丘か何かの上にでも建っているのだろう、この城の屋根は既に無く、雪景色の中、寒そうな出で立ちをしている。
この手の城と言えばドイツ南部、フュッセンにあるノイシュバンシュタイン城が有名だが、あの城は美しすぎて僕の趣味に合わない。 それに比べ、この城は、そうそう、なんだかドラキュラでも出てきそうな、何とも言えない不気味な雰囲気を醸し出している。 
  これ、どこの城やろと思い、そのパンフレットを見てみると、どうやらルクセンブルグはヴィアンデンと言うところにある城らしい。
何だか知れないが、この城の姿に引きつけられた僕は、そのパンフレットをバックの中にしまい込んだ。

 「日本に帰る前に、ちょっと旅してみいへんか?」
夕食のすき焼きを食べながら、あの城への旅について、家内に相談を持ちかけた。
すき焼きと言っても、カセットコンロなど無いので、一旦キッチンで煮込んでからそれをテーブルに鍋ごと運んで食べる。 日本で食べるすき焼きと違うのは、ネギが異常に大きいのと、椎茸の代わりにマッシュルームを使っていること、それからモヤシも日本の物より大分太いってこと位だろうか。
「旅って、どこへ行きたいの?」
すかざず、僕は持ち帰ったパンフレットを家内に見せた。
「この城、この城へ行ってみたいねん。」
「どこにあるの?」
「ルクセンブルグのヴィアンデンって村らしい。」
「斉良(せいら)はどうするの?」
「連れてくにきまってるやん。」
  
 前回のオランダ旅行から1年近くの時が流れている。
旅好きの家内だって、旅をしたくない筈はないのだ。 ただ、今回は今までの旅とは違い、生後6ヶ月になる長女も同行することになるから、そのことを家内がどう考えるか、だ。
 「ルクセンブルグか、面白そうだね。」 それが彼女の答えだった。
「でも、いつもみたいに寝袋持ってく訳にはいかないよ。」
そりゃあそうでしょう。 今回はちゃんと全泊、ちゃんとまともに屋根のある所で夜を明かすつもりだよ。
「予算はありそう?」
「1週間くらいなら何とかなるでしょ。」

 そうと決まれば話しは早い。
往復は学生チケットが使えるので半額。
シーズン中ではないので、チケットの予約なんか不要だろう。
宿は、これも毎度のことながら現地へ行ってから探せばよい。
バイトは、これも1週間も前に言っておけば1週間くらいの休暇なら貰える。

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