ヴィクトリア

 船はゆっくりドーバーのフェリーバースに着岸する。
すでに入国審査は終えて「Six Months」のお墨付きを貰っていた僕の心は軽く、洲本から神戸の街に映画でも見に行くような気分。 「ここはドーバー、もう少し西に列車で行けばポーツマスだ。 ポーツマスと言えばロイヤル・ネービーの軍港がある街。 そんじょそこいらの軍港じゃない。 何しろトラファルガー海戦で、時の海軍提督ネルソンが乗艦していた戦艦『ビクトリア号』のある街だ・・・・・・何を考えている。 もう金は残り少ないんだ。」
 自分の心に言い聞かせながらフェリーを下船し、イミグレーション窓口を横目で見ながら駅の方に歩いて行くと、先の方にプラットホームが何本か見えてきた。 ヨーロッパのような低いプラットホームを想像していた僕は、目前に迫ってくる何とも親しみのある姿に一寸失望してしまった。 「なーんだ、日本のと同じで高床式じゃないか。」 「向こうから阪急電車が入ってきてもちっとも不思議じゃないな。」 あのヨーロッパの低いホームに憧れていた僕にとってはまったく幻滅ものだ。
 そういや日本の鉄道技術は英国から来たものだったっけか?
日本の電源周波数が50Hzと60Hzに分かれているのは確か、技術の輸入元がフランスと英国だったためと聞いた事があるが、もし鉄道技術が送電技術と同じ位の時代に入っていたら、日本のホームも電源周波数のように東西で違ったものになったのだろうか? それなら僕は絶対フランスの方式を取り入れた地域に住みたいなあ。
 いらない事を考えている内に、まばらだったホームも今ではちょっとしたラッシュ並の混みようになってきた。やがて、列車がまるで人混みを掻き分けるようにホームに入ってきた。 ライトブルーの車体が停止すると、乗客達は勝手に列車のドアを開けて乗り込み始めた。 「メトロと同じか」 今は知らないが、当時のメトロ、閉まるのは自動だけどドアを開けるのは手動だった。 僕のチケットは2等席のものなので2等に乗ったつもりが、コンパートメントの造りが結構立派なので「これは間違って1等にのっちまった」と思い、コンパートメントを出ようとすると、向かいに座っていた学生らしい女性が僕を引き止めようとする。 「ここは2等席だから大丈夫」と言っているようだ。 僕に自分のチケットを見せてくれたが、確かに彼女のチケットも2等のもの。
 これがきっかけで彼女とはロンドンまで身振り手振りでいろんな会話・・・信号の交換?をすることになる。 彼女はスイス人で大学生。 休みを利用して旅していて、今晩はロンドンのセントポール寺院近くにあるユースホステルに泊まると言う。 値段を聞いてみると75p。(当時の換算レートで約¥350.−) 良ければ一緒に行こうとさそわれたが、僕はロンドンに着いたらパークレーン辺りの安宿を見付けるつもりでいたので、これは断った。 ロンドンに住むならパークレーン近辺か北部のハムステッド近辺、それかカムデンと決めていたのだ。 理由は非常に単純で、これらの名前の響きが好きだったから。
 
 しかしまあ、何が因果で英国なんかに・・・・・・・
彼女との話がひとしきり落ち着いたところで、ふと僕の頭にそんな疑問がよぎった。

 僕のこの国に対する知識といったら、この国の高校生が日本について持っているそれと同じ程度のものだろう。 何しろ僕はビートルズやローリングストーンズのファンでは無かったし、コナンドイルやましてシェークスピアなんて名前こそ知ってはいても、おおよそ住む世界が違う程度の認識。 だいいち、僕は小説は全く読まない人だ。 政治、経済、歴史、音楽・・・・・身の毛がよだつ。 興味は大いにあっても、わざわざ勉強する気はさらさら無い。
 ただ、僕の友達で大のビートルズファンがいる。
僕達が中学生の頃と言えばGS全盛期で、その影響か、僕も友達とGSをつくろうなどとほざいて、一時期、僕はドラムをやった事があった。 もっとも、学校へ通ったり本で勉強なんて事が大嫌いだったので、テレビやラジオ、レコードに入っているドラムの音を聴き取って自分で覚えた自己流。
 高校3年の時、この悪友達が、最後の文化祭でビートルズとSGをやろうと言い出した。 僕達が通っていた高校は私立(進学部ではない)で、この当時、エレキギターやドラム、ベースなどと言うと不良の3点セットのように思われていた時代だったので、当然、校長先生のOKなど出る筈もない。 文化祭前夜、僕と悪友が校長の家に交渉に出向き、その間に別の仲間が楽器を体育館に運び込み、交渉の成り行きなど関係無く、僕らのステージを実行に移す計画だった。
 夜中の1時まで交渉の末、夏のヨーロッパ一人旅同様、校長先生からOKを取り付けた。
そして文化祭の日、Y高始まって初のエレキギターやドラムの音、英語の歌が広い体育館に響き渡った。 とは言っても、僕はビートルズなんざ全く知らない(SGは好きでよく聴いていたが。)。 文化祭の前、級友の寺の本堂で2回程合わせただけ、僕にとっては初鍵に近い演奏だったのだが・・・・・とにかくビートルズの曲を3曲やって、最後は Sound of silence で幕を閉じた。 トイレットペーパーやらテープやらが飛び交い「こりゃあ退学物だな」と仲間と話し合ってる所へ英語の先生がやってきて「ようやった」の一言。 帰り際、校長先生がやって来て「ビートルズもいいもんだな」の一言を聴いたとき、胸から感動がこみ上げて思わず・・・・と書きたい所だけれど、実際には「退学ならんですみそうや」。
 年がら年中、悪友の歌うビートルズを聴かされ、このステージを退学覚悟で実現させた体験、そんな事が無意識に僕の心の中に何かを植え付けていたのかも知れない。 それくらいしか、英国を選んだ理由が思い付かない。 何しろ英語の点数は前にも書いた通り、10〜20点をうろちょろしていたのだから(勿論、100点が満点です。)、言葉が通じ易いなどと言う、一般的な高校生のレベルで考えられる理由も考えられない。 僕にとって、行き先がイタリアであろうがフランスであろうが、そこに大差は無いのだ。 

 段々と大都会に近づいていることを、車窓から見える景色が僕に教えてくれる。
列車がロンドンに近づくにつれ、何故か僕の気持ちはだんだんと暗く落ち込んで来る。 何故なんだろう。 正直言って、僕がドーバーに上陸してから、この国のイメージはそれ程いいものでは無かった。 別に嫌な経験をした訳でもないのに、何かしら得体の知れない重苦しいものがドーバー以来僕の胸を押し付け続けている。 ロンドンが気に入らなければ数日観光でもして、そのままヨーロッパに戻ればいい程度のものなのに、何故か、ロンドンでなければならないという、自分でも訳の解らないものが僕を束縛しているようでもある。
 列車はテームズ河を渡るとやがて大きな駅に到着した。 ヴィクトリア駅である。
荷物の詰まったキスリングを背負いホームに出ると、夏の陽が燦々と降り注ぎとても気持ちがいい。 この駅はパリの北駅と同じで終着駅(引込式というのか?)になっているが、僕は列車の最後尾近くの車輌に乗っていたので、駅の構内まで結構長い距離を歩かねばならなかった。
 構内に辿り着くと、まず僕は換金するための銀行を探した。
ドーバーに着いてから直ぐに電車に乗って来たので、僕はまだ一文の、いや1Pの英国貨幣も持っていない。 高い天井の構内を見回すと、壁面の高い所に、まるで安物のロイヤルボックスのような部屋があり、Exchangeの表示がある。 壁面に付けられた階段を登り、このオフィスで取り敢えず1万円を換金して駅の外に出る。

ヴィクトリア駅前にて

 蟻のようにずらっと並ぶ黒塗りのオースチン(通称ロンドンタクシー)や、ダブルデッカー(2階建てバス)、ロンドンの第一印象は「あーあ、堅苦しそうな街やなあ」。 昨年の一人旅で夜中に羽田に着いた時の印象もそうだった。 何かしら、全てがきちっとし過ぎている感じで、僕の周りに大きな壁が立ちはざかっているような、ちょっとクールな街の印象。
 「こんな国でほんまに、彼奴が好きなビートルズみたいなグループが生まれたんかいな?」 そんなことはどうでもいい。 まず今夜のねぐら探しから始めなきゃならん。 僕が考えていたのはベーズウオーター辺りの安B&B(朝食込みの宿)。 これも然したる理由も無いが、、この通りはハイドパークとケンジントンガーデンという大きな公園の北側を公園に沿って一直線に走っており、東に向かうとそのまま街の中心部に入ることが出来る。 だから、交通の便もいいし、何といってもこの通りは当面の僕の行動範囲の中を西からホランドパークアベニュー、ベイズウオーター通り、オックスフォード通りと一直線に駆け抜けている。 この事は、万一どっかで道に迷っても、この通りの方向にさえ向かって歩けば確実にこの通りのどっかへは出られることを意味する。
 ぼくは何処に行っても、一人歩きする時はこのように、街を二分する出来るだけ一直線に
走っている通りをまず基準線に置き、あとは気ままに好きなように歩き回る。 万一道に迷っても太陽の位置や、その場所が街の中心からどの方向にあるのか解れば、後はただその通りにさえ出られれば良い。 道を聞くのも「〜通りはどっちの方向?」「あっちだよ」で事は足りるのだ。 実に無駄と言えば無駄な方法だが、そのお陰で去年もいろんな出逢いや体験も出来たのだからやめられない。 それから、地図を見ず感覚、いや本能という方がいいか?で歩くので知らない街でもまるで住人のような気安さで歩き回れることと、万一やばい場所に入っても意外と安全にその場を抜け出す事が出来る。(何故かは、いつかどっかで書きましょう。 いや、賢明な読者は解りますよね・・・実に単純な理由だから。)
 話を戻そう。
そう考えていた僕は、取り敢えずハイドパークに向かって歩き出した。、その時、後ろの方から「あのー、済みませんが。」と呼び止められた。 振り向いてみると、そこには2人の日本人が立っている。 どうやら、僕と同じ列車で来た人達のようだが、彼らが言うには、ヴィクトリア駅近くのホテルを予約してあるが、3人部屋しかなく、2人で3人分の料金を払うことになっている。  だから、良ければ一緒に割り勘で泊まってくれないかという事らしい。 取り敢えずはそのホテルまで同行することに同意し、近くにあるというホテルを探す。
 彼らの言うとおり、ホテル(B&B)は駅から歩いて直ぐの場所にあり、早速料金交渉に入った。
宿泊の交渉なら昨年何度も経験している。
 「How much two man for one night ?」 「I stop here too. How much for 3 man?」 「No discount?」
文法もへったくれも無い。 交渉の結果、1人£3.30(当時のレートで約2000円)となった。 僕にすれば相当高い料金だが、これで明日からの安宿をゆっくり妥協せず、しかも重い荷物を担がずに探すことが出来る。 チェックインの時、彼らのパスポートがホテル側で確認されるのを見てから、彼らと指定された部屋に向かった。
 
 荷物を置いた僕は早速ホテルを飛び出し、 ヴィクトリア駅で地下鉄とバスの路線図を貰ってから、さっき向かいかけた方向、ハイドパークの方へ歩き出した。 どこをどう歩いたか、地図を見ながらではないので、ルートを書くことは出来ないが、景色の記憶から考えてバッキンガム宮殿裏手からパークレーンに出て、スピーカーズコーナーで一寸立ち止まったあと、公園内をケンジントンガーデンまで歩いたようだ。 公園から出るとそこに通っている大きな通りがベーズウオーター通りだ。 通りを渡るとランカスターゲイト。  
 この辺りで見かけるこじんまりした、安そうなホテルに入り、片っ端から料金交渉して行く。
何軒も周り、自分の場所が掴めなくなると一旦ベーズウオーター通りに出て、再びB&B探し。 その内、ヒルブロウホテルと言うインド人の多い小さなホテルが気に入った。 B&B一泊£2.80。 部屋は広くて、ヴィクトリアのホテルの4倍位ありそうで、しかもダブルベッドときている。 直ぐに決めて1週間の予約をすると、週毎に支払ってくれて長期滞在するなら£2.30にすると言う。 これに決定。
 
 ホテルに帰ると他の2人はもう帰っており、3人で夕食をすることにして外出。
「ウインピー」という、日本のファミリーレストラン(当時この言葉があったのかどうか。)のような所に入り、僕はウインピーグリルというのを頼んだ。 55P。 食事をしながらいろんな話をしたが、彼らは大学の4回生で、学生時代最後の思い出に、ボーンマスという町で1ヶ月間ホームステイして英語の勉強をするという。 僕も大学生だと思っていたらしく、今年高校を出たばかりだと言うと二人で顔を見合わせながら驚きを隠さない。 この言葉が利いたのか、夕食代は彼らが出してくれ、僕の少ない財布の中身が減らずに済んだ。
 このクラスのホテルだと部屋にTVなどなく、見たいときは一般家庭のリビングルームのような場所に行って見る。 白黒TVを囲んで10人程の泊まり客が刑事ドラマの『キャノン』を見ている。 僕も洲本ではこの番組を見ていたが、同じ映像も場所が変わると何とも不思議な感覚だ。 おまけにTVは真空管式のものと来ている。 一瞬、僕は小学生時代、僕の家にあった真空管式TVの事を思い出した。 「昔はこんなTVで見てたんだなあ」・・・・いや、ここはロンドン、霧のロンドン、世界のロンドン大都会だぜ・・・・なのに懐かしくて、この空間は何なんだ。
 年寄りの多い泊まり客達は、僕らに気付くと順次席を詰めてくれ、小さなカウンターのような所から飲み物を持って来てくれる。 お金を払おうとポケットに手を入れると、じいさんがニコッとほほえんで「いらないよ」という仕草をする。 結構足下のおぼつかない老婦人が部屋を出ようとすると、同じように年取ったじいさんが先にドアまで行って、ドアを開いて待っている。 別に客同士が話し合っている訳でもなく、薄暗い部屋の中で白と黒だけの画像を見入っているだけ・・・・なのにこの心地よくて懐かしい空間、僕がさっき、駅前で感じたあの重苦しい感覚とは似ても似つかない穏やかでたおやかな時の流れ・・・・いったい何なんだこの空間は? TVを見た後、彼らが外で買ってきてくれたビールやジュース、お菓子でささやかな宴会を開いた。
 
 翌朝、僕は早めに起きて朝食を採った。
トーストにベーコン、スクランブルエッグか目玉焼き、それにコーヒーか紅茶。
昨夜一緒にTVを見ていた人達が顔を合わすたび挨拶してくれる。 
昨夜僕が感じたもの、それは結局、今なお僕がこの国に抱き続けるこの国の姿そのものに他ならないし、それが故に今なおこの国を心から愛する所以でもある。

 
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【注】
ヴィクトリア駅前の写真は3年半後、オランダ、ベルギー、ルクセンブルクへ出掛けた時のものです。 写っているのは当然僕ではなく、この時はまだ見も知らなかった、僕の現在の妻子です。