Seven Samurai

 セントラルでの授業が終わり、ぶらぶらとオックスフォード通りを西に歩いていた。
いつもなら73番の赤バスでマーブルアーチまで行き、そこから159番のバスに乗り換えて帰るのだけど、その日は理由もなく久しぶりにマーブルアーチまで歩こうと思ったのだ。
広い歩道をぶらりぶらり歩いていると、SAMURAIと言う文字が僕の視界に飛び込んできた。
「SAMURAI?」
何だろうとその文字に近づいてみると、そこはアカデミーという映画館だった。
 この映画館なら知ってはいるが、普段、ただ前を通り過ぎるだけで、どんな映画をやっていいるのか等と気に留めた事もなかった。 SAMURAIと書いてある位だから日本の映画でもやっているのだろう。
『Red Sun』の事かな?  三船敏郎、チャールズ・ブロンソン、それにアラン・ドロンが競演で作られた映画だけど、僕が高校に入った年辺りにやっていた映画だ。
 映画館に掛かっている看板をもう一度見直すと、どうやらRed Sunではなさそうだ。
『Seven Samurai』と書かれいている。
『七人の侍』だ。 僕も題名だけは聞いたことがある。 
黒沢明監督の作品のようだけど、僕は彼の作品をこれまで観たことが無い。 いや、小学生の頃だったか、『生きる』と言う作品の話だけは聞いた事がある。 確か、ブランコで遊んでいた時、誰かがこの作品の粗筋を僕に話してくれたのだが、同じようにブランコに座ってお爺さんが「ゴンドラの唄」を歌うんだと謂うような話だった。 

オックスフォード通りに掲げられた日本の侍の絵に興味が引かれ、また、一度は黒沢明の映画を観てみたかったという事もあって、僕は映画館のチケット売り場に吸い寄せられるように歩いて行った。 78Pの入館料を支払い館内に入ると、そこは日本の映画館とそう違ったものではない。
鑑賞室の扉の向こうからは映画の音が漏れ出てくる。
上映スケジュールでいけば後10分程で映画は終わる予定なので、待合い用のベンチで待つ事にする。
 僕以外には数名の白人が同じように、ベンチに腰掛けて映画が終わるのを待っている。
やがて映画が終わり、鑑賞室の扉が開くとぞろぞろと人が出てくる。
人の流れが途切れたのを確認して、僕は鑑賞室の中に入る。 先ほどの上映を途中から観始めた人たちだろうか、席の4割位が埋まったままだ。
 僕は前から1/3位の場所の真ん中に席を取った。
映画館で映画を観るのはとても久しぶりな気がする。 ましてここは洲本の映画館でなければ神戸の映画館でもない。 ロンドンの映画館なのだ。 しかも、これから観る映画は日本の古い映画と来ているからおかしなものだ。 日本にいれば黒沢明の映画など、なんだかイメージ的にこ難しい感じがして観ようとも思わなかったが、いざ日本を離れてみると懐かしさからなのか何なのか無意識にチケットを買ってしまっている。 

初めて観た黒沢映画、それはこれまでの予想を見事に覆して、とにかく理屈抜きで面白かった。
野党に苦しめられている村を救うため、7人の侍が集まり、やがて村人達と一緒に野党をやっつけるというストーリーで、前半はちょっと「もも太郎」を思わせる展開。
 この映画を基に作ったという、アメリカ映画の『荒野の七人』はTVで観たことがあった。 あれも面白いと思ったが、今観た作品の躍動感と不思議な新鮮さに比べたらまるで霞んでしまう。

 映画の感動を胸に映画館を出ると、そこはロンドンの街並み。
映画の世界とのギャップはちょっとした時差ぼけに似ているが、このギャップがとても心地よい。
 これがきっかけで、僕はロンドンでやっている日本の古い映画を観ることにはまってしまい、ナショナルフィルムシアターやエレクトリックシネマの会員になった。

ナショナルフィルムシアター(NFT)はテームズ川(実際の発音はテムズ)の東岸、ウオータールー橋を渡った所にあり、クイーンエリザベスホールやナショナルシアター、ロイヤルフェスティバルホールなどが隣接する。 当然、設備も良いし大小3つ(だったと思う)の映写ホールを持っていて、世界の映画を常時上映している。 日本の映画もよく上映されていて、Japan Weekなどといって、日本の映画週間だの黒沢を始めとする日本の監督特集などもやっている。
 一方、エレクトリックシネマはポートベロロードにある、場末のような映画館。
とにかく古い映画館で、チケット売り場も鑑賞室も汚い臭い・・・・・スタッフもヒッピー風のお兄ちゃんやお姉ちゃんで、随分愛想が良い。 土曜日、ポートベロマーケットを散策したついでに、ちょいと映画を観て帰ることもしばしばあった。 この映画館でも日本映画をよくやっていて、NFTのように日本映画週間なんてのを時々やる。
NFTのような上品さとはほど遠いが、この映画館、僕は大好きだ。 なんだか、馬小屋か牛舎で映画を観ているような感じがするし、映画館の中はタバコの煙でもうもうとしていたり・・・でも好きなんだなあこの雰囲気。 
 最近まで知らなかったのだが、実はこの映画館、とっても歴史のある映画館だそうだ。 しかも、知らないうちに改装されてとっても立派になったらしい。(でも、あの個性的なポリシーは同じらしい。) そのことを何気なくネット検索していて発見した。 なんと、綺麗で立派なホームページを立ち上げていたのだ。

 僕はロンドンで初めて、モノクロ時代の日本映画の素晴らしさを教えられた。
その後知り合った英国人は、あの『七人の侍』を百数十回観たと言う。 僕もその後、NFTで、エレクトリックシネマで、また他の映画館で『七人の侍』を始めとして数多くのモノクロ日本映画を楽しんだ。

 話は変わるが、英国には未だ、先の大戦での日本軍の捕虜虐待への憎しみを忘れないお年寄りが多い。
ある時、ロンドンの戦争博物館で、アジアに於ける日本軍による英国人捕虜虐待の実態というような内容の催し物があった。 僕はその催し物を見に行ったことがあるが、写真や人形を使っていかに日本軍が英軍捕虜を虐待したか、これでもかと思う程えげつない表現でその様子を再現してあった。
 それらを見ていた時、一人の初老の紳士が僕に近づくなり「日本人か?」と聞いてきた。
「そうです」と答えるなり彼は、彼の友人を捕虜収容所で失ったこと、その収容所で自分たちはどれ程酷い目にあったかなどを話し始めた。 赤面した彼が最後に僕に言った、「よーく覚えておくがいい、これが君達日本人の素顔だ。日本人はこの国から出て行け。」 ひとしきり彼の主張を聞いた後、僕は彼に静かに言った「僕の父はその戦争で右足を奪われた。 でも、僕も父も米兵を恨んでいないし、米国も恨んではいない。 恨むなら戦争だし、恨みは何も解決してくれない。」

 そんなことがあった数日後、僕とかみさんはNFTに日本映画を見に行った。
監督名は忘れたが『大忠臣蔵』というモノクロで3時間の大作だ。 討ち入りシーンが全くない、一風変わった作品だったが、それまで知っていた忠臣蔵物とは段違いに感動した。 
 はたしてこんな内容の映画をこっちの人達はどう見ているのだろう? 映画を見ながら、僕は周りの人達の様子を時々見ていた。 すると、至る所で目頭を拭うのが分かる。 映画が終わっても多くの人が席に座ったまま、立ち上がろうとしない。 文化は違っても、人の心は同じってことだろうか?
 混雑を避けるため、早めに席を立った僕等は出入り口に向かって歩き出した。
出入り口のある最下段の床に降りた時、僕は自分の目を疑った・・・・・あの時の紳士だ。
無意識に僕の脳裏にあの博物館でのやりとりが浮かんでくる。 少し気まずそうな表情でその紳士は僕に近づくと「この前は随分失礼なことを言い、お詫びする。 私はあの時の日本兵達を許す気にはなれないし、憎しみを消す事も出来ない。 ただ、君には何の罪も無い。 君達にも立派な歴史と文化がある事を、今まで知ろうとも認めようともしなかった自分を恥ずかしく思うよ。」 そんな事を言ってから、彼は僕の肩を軽く叩いて出て行った。
 彼が何故今日、この場にいたのかは知らない。
勿論、僕が来るなどと言うことは知るはずもなかったろうけれど、恐らく彼も僕と同じNFTの会員であり、今日、この映画があることは会報で知っていたのだろう。 勿論、映画の内容は会報の解説に出ているから、読んではいただろう。 
 彼はなぜあのようなことを言ったのか?   それは今となっては分からないこと。 ただ一つ言えることは、この日の映画が彼になんらかの心境変化を与えたと言うことだ。 


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