パ リ

モンパルナスの灯


 「Where is the Passport Control?  空港職員にこう聞けば入国手続きする場所教えてくれますから、まずそこで入国手続きをしてから荷物を受け取って、税関を通って下さいね。」 慌ただしく添乗員の人はそう僕に告げ、彼らのアテネの宿泊先であるアトランティック・ホテルの住所と電話番号を僕にくれた。 「アテネでお待ちしてますから、くれぐれもご無事で。」 と僕に握手を求めてきた。 「楽しんできます。」と右手を差し出し握手してから、伊丹の時のように軽く右手を上げて搭乗ゲートを後にした。
 入国審査を済ませ、荷物を受け取るためフライトナンバーが表示されたベルトコンベアの前で立っていると、いろんな色やサイズのスーツケースがどんどん出てくる。 「おや」と思った瞬間、ちょっとした不安が僕の心に湧いてきた。 どのスーツケースにもしっかり鍵が付いていて、中にはバンドで更にケースを締め上げている。 僕のはアルミの背負子付きキスリングザックだから、ザックのカバーは紐を結わえてあるだけだ。 盗難の心配はしていなかったが、貨物コンテナに入れる時、もしこの紐が解けでもしていたらどうなる。 「無事に出て来るだろうか?」  なかなか出てこない荷物、そしてまた違う一抹の不安が過ぎる・・・「403便はロンドン行きで、僕はロンドンへ行く団体さんに便乗してたから、間違って荷物だけロンドンへ行ってしまうなんてこたあないよな。」  それでもまだ出て来ない。 こうなったら空港職員に尋ねるしかないかと覚悟を決めた時、わざわざ神戸まで出掛けて買ってきた僕のザックが出てきた。 ちゃんと紐も結わえたままになっている。
 空港内の銀行で7000円をFフランに替える。
手持ちと、これからの日程を考えるとこれでも換金し過ぎのきらいもあるが、まあ花のパリや、贅沢に行こう。
リムジンバス乗り場に行ってF6.50のチケットを買い、ザックを荷室に入れてから車内に乗り込む。 なんだか、遠足にでも出掛けるような心境。 バスの扉が閉まり、ゆっくりとエア・ターミナルを出ると、窓に雨がパラパラと当たってきた。 空はどんよりと曇り、なんだかこれからの僕の旅を予兆しているような、ちょっとだけ不安な感じの出だしになってしまった・・・・・と、辺りを見回すと、日本人は僕だけのようだ。 「いいねいいね、この適度な緊張感と孤独感。 やっぱ一人旅は正解だった。」 初めての一人旅には丁度いい緊張感も、バスがパリに近づく頃にはすっかりどっかへ陰を潜め、エッフェル塔が見える頃にはもう完全にお上りさん気分。 

 何カ所か停車した後、バスがアンバリッド(ナポレオン廟)前の終着駅に到着した頃には雨も小降りになっていた。 まさか、旅の初っぱなで雨にうたれるとは考えてなかったので、ポンチョはザックの一番底に入れてあるし傘は持ってきていない。 ええい、邪魔くさい・・・・・ポンチョを出さずそのままザックを担ぎ、まずは目前にあるセーヌ河に出て河畔をエッフェル塔の方に歩き出す。
 歩きながら、自分の位置とパリの地形を頭の中で考える。
ターミナル前の橋はアレクサンドル三世橋であそこを渡ればシャンゼリゼ大通りに出られる。 右手斜め前、そうセーヌの対岸に見えるのはシャイヨウ宮でその向かいにエッフェル塔・・・・・・おおよその位置関係は解るから、ほぼ行きたい方向へは行けそうだ。 わざわざ小雨の中、ポンチョも着ず真っ先にエッフェル塔の下へ来たのには何も訳がない。 ただ、一度この下からエッフェル塔を見上げて見たかったから。
 さあ、雨の中うろうろしてる時間はない。
宿はモンパルナス界隈で探そうと思っていた。 僕のいつもの悪い癖で、その地がどんな場所かは別として、地名の響きでなんでも決めてしまい、勝手な想像を働かせてしまう。 何でモンパルナス?
聞いて驚くな、小さい頃「鉄腕アトム」の実写版をTVでやっていて、僕はいつも欠かさず見ていた。 このドラマのスポンサーがモンパルナスで、パルナスのピロシキのCMを嫌と言うほど見させられていたのだ。 知ってるだろうか「パルナスピロシキ、パルナスピロシキ、パルピロパルピロ、パールーピーロー・・・・」ってCMソングを。 それから、見たこともないのに何故か『モンパルナスの灯』って映画の題名だけ知っていて、この言葉の響きが大好きだった。 
 大体の位置関係は解るとは言えこの小雨の中、万一道に迷ったのではたまらないから、ここは地図でちゃんと大まかな道筋を確認してから、極力、曲がり角を曲がる事無くモンパルナスに出られる進路を確認して、あとは地図無しで歩き出す。 あそこには、モンパルナスタワーってのっぽのビルがあって、写真で見たことはあるので、それが指標になる。

  モンパルナスで何件ホテルを廻ったろうか。
大通りからちょいと脇道を入った所に、小さく Hotel と書かれた看板を見つけた。 フランスのホテルは☆マークの数で等級が分かると言われるけど、このホテルはその☆マークが見あたらない。 もっとも、この☆マーク、結構裏金で買えるって話も聞いていて、当てにはならないらしい。 もっとも、貧乏旅行者の僕にとっては何の意味も持たないけど。
 石段を登ると黒い大きな扉がある。
「ホンマにホテルかいな?」と思いながら、その扉を開くと入ってすぐ左手に木製のカウンターがあり、大柄で眼鏡を掛けたマダムが立っている。 「Two night OK?」 と、僕が人差し指と中指を立てて尋ねると、彼女は親指と人差し指を立てて何やら話しかけてくるが何を言ってるのか解らない。 紙切れのような物にF13と書いてくれて、一泊これだよってのは解った。 「ウイ マダム、ほな、泊めてもらうな。」 彼女が宿帳のような紙とペンを僕の前に差し出したので、これに名前や住所、パスポート番号なんかを記入すると、部屋のキーをくれた。 キーには24と書かれた札が付けられている。 
 すぐ後ろの狭い階段を上り、24と書かれた部屋の扉を開けると、意外に広い、でも少し薄暗い部屋が僕の目に入った。 大きな窓(ガラス扉と言うべきか)の前に机と椅子、奥には大きなタンスとダブルベッド。 その横に洗面所と、何やらトイレのようなそうでなさそうな物、それに椅子がも一つに電話。 まずは机の引き出しやタンスを開けて中を見てみるが何も無い。 次に、窓を開いて外を覗くと、背中合わせになった建物との共同庭(中庭)のようになっていて、このビルと向かいのビルの間にロープが何本も張られている。 そして、かみさん連中が洗濯物を干しかけている所だった。  空を見上げると、どんより曇ってはいるけれど、雨は上がっているようだ。 これはのんびりしてられない。 時差ボケかそれとも、さっき雨に降られて風邪でもひきかけているのか、頭が少しふらつくが折角の初めての外国、それも花のパリや。 休む時間も勿体ないと、カメラや貴重品をバックに詰め込んで早速外出。
アンバリッド エッフェル塔 ノートルダム寺院
 まずはアンバリッドまで出て、エッフェル塔へ。 ここからセーヌ河を渡ってシャイヨウ宮殿を抜け、トロカデロ広場に出ると、遠くにエトワール凱旋門が見える。 地図無しで何の問題もなく凱旋門にたどり着く。 ここからは1.9キロあるシャンゼリゼ大通りを下って簡単にルーブル宮(美術館)へ行け、そのままサンジェルマン教会を左に見ながらセーヌ河畔を少し行き、ポンヌフを渡るとそこはシテ島。 ちょっとした迷いはあったものの、然したる問題も無く僕は初めてのパリをのんびり散策した。 ルーブルやノートルダムに入るのは翌日でいい。 今日はパリの空気を味わえばそれで十分。 それにしても、夏だというのに寒い。 Tシャツにジーパン姿で、しかもTシャツはさっきの小雨で少しじめじめしているから、風が吹くと上半身がヒンヤリとする。
 パリの香りを少し楽しんだ所で、そろそろモンパルナスに帰って近場を散策しようと、シテ島からサン・ミッシェル橋を渡りサン・ジェルマン・デ・プレ教会を目指す。 この教会からは一本道でモンパルナス・タワーに行けるから道に迷う事はあり得ない。 欧州の街は要所要所に特徴的な建物が多いので、その位置や姿さえ覚えておけば、多少の迷いはあっても意外と地図無しでも歩ける。 実際、この方法でここまで地図無しで不自由もせず気ままに散策が出来た。 
 ところが、いざホテルへ帰る段になって、どうしても僕の頭にホテルの位置がイメージ出来ない。 場所はモンパルナス、ホテルを出て最初の角を曲がった所からモンパルナスタワーというノッポビルが見えた筈だ。 このビルの下まで来ているというのに、まるで狸にでも化かされているかのようにホテルの姿が忽然と姿を消してしまった・・・・・とさえ思えて来る。 「そう言や、爺ちゃんが若い頃、狸に化かされて何度も酷い目にあった。」と言ってたな。 その内、再び小雨まで降りだして来た。 ポンチョやホテルの住所を書いたカードは部屋に置いて来たので、人に聞くことも出来ない。  「そんな時はの、じっと目を閉じて心を落ち着けてみることや。」と爺ちゃんが言ってた言葉を想い出した。 「こりゃダメだ。 もう遅いしまずは腹ごしらえが先だな。」
 簡単な夕食を済ませた頃にはもう辺りは薄暗くなっていた。 
この時の僕の感覚はまだ7時位だったが、時計を見て驚いた・・・・9時を過ぎている。
「まっ急ぐ旅じゃなし、明日には見つかるだろう。」と覚悟を決めて、何気なく路地を曲がった先に我が懐かしのホテルの入り口が、薄暗い明かりに照らされて暗い小道にうっすらと浮かび上がっているではないか。 さっきから、この前の広い道を何度通ったろうか・・・何故気づかない。
 歩き疲れと小雨にあたった疲れで、その時僕はどんな顔をしていたのだろうか。
入り口のぶ厚く大きな扉を開くと、チェックインした時にいた懐かしい顔のマダムが、まるで遅くまで夜遊びをして帰った子供を迎えるような、しかし優しい顔をして僕を迎えてくれた。
この時、このホテルがまるで何十年の住処のように思えた。
 鍵を貰って階段を登っていると、急に頭がクラクラして来た。
寒気もするし、どうやら風邪を引いたらしい。 部屋に入るとすぐにザックを開き、中から風邪薬を出して水と一緒に飲み込んだ。 服を着替え、そのままベッドに入り目を瞑ると・・・・その後の記憶は無い。


赤いセーター

 「しまった、バイト遅れる。」
瞼の裏にかすかな陽の光を感じた途端、僕は無意識にベッドから跳ね起きた。
目に入った光景は僕の部屋ではなく、昨日チェックインしたホテルの薄暗い部屋。 窓からは陽の光と共に、近所のおかみさん連中の井戸端会議か、微かに楽しそうな会話が聞こえて来る。 そうか、僕はパリに来てたんだった・・・・・ベッド脇に置いてある腕時計を見ると9時15分。 僕にしては寝坊したもんだ。
 早速起き出して窓を開けると、下で井戸端会議やってるおかみさん連中がこっちを見た。
中に、このホテルのマダムもいる。 僕に向かって何とか言ったが意味が分からないので、「おはようマダム。」と言って手を振ると、他のかみさん連中も何とか言いながら手を振ってくれる。 
 顔を洗ってから頭を二三度、左右上下に振ってみるがクラッとしない。 
寒い感じは昨日と同じだけど、熱のある寒気とは違う。 気温が低いのだろう。 早速、昨日のようにカメラと貴重品を持ってホテルを出ると、向かいにある果物屋が賑わっている。 朝飯代わりに桃を2個買って、これを囓りながらまずはシャンゼリゼ通りに向かう。 日航パリ支店に行って、チケットの再確認をしときたかったからだ。

 日航での用を済ませ、シャンゼリゼ通りの店を見ながらルーブルに向かって歩いてると、あるレコード店の店頭に見覚えのある人の顔が写ったポスターが何枚も貼ってある。 「あれ、ジュリーやないか。」 興味を引かれて店内に入ると、ジュリーのシングルレコードが入り口に一杯並んでいる。 そうそう、彼がこっちでシャンソンか何かのレコードを出した事は聞いていた。 この様子だと結構ヒットしているみたいだな。
 店を出た所で突然「あら、奇遇ですね。」と声を掛けられた。
403便で僕の向かいに座っていたスチュワーデスさん達だ。 制服を着てないので、そうだと言う自信は無かったが、パリの街中で急に声を掛けられるとしたらそれ位しか考えられない。 高校生の欧州一人旅って事で、機内では結構珍しがられたので、印象に残っていたんだろうか? 
 「これから食事に行く所なんですが、宜しければ一緒に行きませんか?」
彼女たちが連れてってくれたのは、シャンゼリゼからちょっと入った所、日航の近くの「さくら」と言う日本料理店だった。 なんで、パリまで来て日本料理?とも思うが、ご馳走したげるなんて言われたら、これはついてかない手はない。 いろいろ話しながら食べていると、彼女達の一人が「ほら、あそこにいる人、映画なんかで見たことないですか?」と僕に小さな声で耳打ちしてくれる。 彼女がそっと指さす方を見ると『王様と私』で見た、いや『荒野の7人』でも見たあのスターじゃないか。 そう、ユル・ブリンナー。
「ウッソー」生まれて始めて見るトップスター・・・・・彼女たち、彼をこのレストランで見るのは初めてではないらしい。

 予期しない出会いで昼食代が助かった僕はシャンゼリゼを下り、ルーブルに行ったが閉館日で入れず。
仕方なく、今日はノートルダムとサント・シャペルに入ろうとシテ島に向かうが、やっぱり肌寒い。 ルーブルの裏側にデパートがある。 入り口には一杯花が売られていて、見た感じは大衆百貨店って感じか。 ここならセーターか何かを安く買えるかもと考え(それまで自慢じゃないが、服なんて自分で買った事無かった。)そのラ・サマリテーヌってデパートに入ってみた。
 いろいろ見て廻りながら、やがて衣服売り場へ行ってはみたものの、自分のサイズすら判らないから、どのサイズを買ってよいのかも分からない。 取り敢えずデザインで気に入った物を選び、値段を見てみて驚いた。 何とF82。 お金がとても足りないが、すっかりデザインが気に入った事もあって、ここで一大決心。 店員にExchange出来る場所を聞き、早速、5千円を替えて来た。 今度はサイズだが、これは試着してみるとドンぴしゃ。 パリの土産代わりに買うのもええやろ。