TWA 840便

 すっかり朝寝坊してしまった。
昨夜、遅くまでコロッセウムで時間を潰したのが悪かったのか、朝にはめっぽう強い僕がこんな時間まで寝ているなんて。 いや、何度か目は開いたのだが、窓のカーテンが分厚くて陽を遮っているせいか、部屋の中が暗くてまだ早朝だと勘違いしていたのもある。
 ベッドから飛び起きて着替えをし、身支度をして部屋を出がけに時計を見ると9時20分。
アテネへのフライトは12:30発の予定だから、11:30には空港に入らないといけない。 リムジンバスの所要時間を約1時間と考えれば10:30発のバスに乗って丁度良い計算になる。 朝食をしてからでも十分に間に合う筈だけど、この時間から朝食摂るのはあまりにも勿体ない。 フライト時間から考えて、機内で昼食が出るのは目に見えている・・・・朝食はいいや。 
 チェックアウトしてテルミニ駅に向かって歩き出す。
駅に着いてリムジンバスの乗り場へ行こうとしていると、白人の老夫婦が大きなスーツケースを牽きながら僕の横を通り過ぎてタクシー乗り場の方に向かって行く。  「夫婦で海外旅行か、ええなあ。」そう思って暫くその後ろ姿を見ていると、スーツケースを牽いていたおじいさんが立ち止まって何やらスーツケースの下の方を覗き込んでいる。 どうやら、スーツケースのキャスターが壊れたらしい。 おやおや、あんな大きなスーツケース、あの爺さんにゃ持てへんやろに。

 「タクシー?」
爺さんにそう言いながら、僕はタクシーの方を指差した。
綺麗な英語で何やら言葉が返って来たが、何を言ってるのか僕にはチンプンカンプン。 とにかく、僕はそのスーツケースの取っ手を握ってタクシー乗り場の方を指挿しながら「I take this bag to Taxi.」と僕が言う。 大きなキスリングザックを背負っていたせいか、それとも、僕がイタリア人でなかったからなのか(いや失礼・・・・写真撮ったげるってふりしてカメラを手渡した瞬間、それを持って逃げるなんて事はこの時代でも日常茶飯事だったのでね。)、僕に礼を言ってから二人が僕に着いて来る。 それにしても重いなあ。
 タクシースタンドまで運んだ頃には、僕の右腕はまるで一本の棒のようになっていた。
右腕を曲げようとすると肘の裏側が痛くて曲がらない。 「ありがとう、本当に助かったよ。」と言ってくれたのは解った。 その後、「私達は空港に行くが、君も空港かね?」と言うような事を聞かれる。 「Yes I go to airport. Leonardo Da Vinci Airport.」 すると、一緒に乗ってかないか?と僕に聞いてるようだ。 空港までの料金を運転手と交渉してくれて、6000リラで決着したようで、僕は1000リラでいいと言う。 
 こういう好意にはやっぱり甘えるべきだと、キスリングザックを下ろして爺さん達の荷物と一緒に車のトランクに納める。
さあ、走り出したはいいがこの運転手、飛ばす飛ばす・・・・・高速道路か何か知らないがそんな道に入ってからは、周りを走っている車をぐんぐん追い抜いてくじゃないか。 正直な話、僕の生涯でこんなに速度を出してる車に乗ったことは無い。 横に座ってる爺さんが「流石、フェラリーを生んだ国だよ・・・・・」だかなんだか僕に話しながらも悠々としている。
 この夫妻はこれからイギリスの自宅に帰る所だそうで、地名を言われたが聞いたことも無い地名だ。
僕が日本人だって事は気付いていたらしく、日本の何処に住んでいるかって聞くので神戸の近くだって言うと「神戸は京都の近くか?」って聞いてくる。 詳しい話をする程僕には英語力が無いので、何か書く物と思ったがキスリングザックの中だ。 仕方ない、自分の左腕を出し、手首を少しだけ曲げてから肘の方に指をやり、「キューシュー、ヒロシマ、コウベ、オーサカ、キョート、トウキョウ、サッポロ。」と順番に指を掌の方にずらせて行く。 面白かったのは、流石に九州には何の反応も無かったが、広島と東京、それに札幌には「ああ知ってる知ってる」って奥さん共々笑顔を見せた事。 そうか、そうだろうなあ・・・・僕だってイギリスの都市名を言われて幾つ分かる事やら。

 空港へは僅か30分程で着いた。
そりゃあ、あれだけ飛ばせば早いだろうけど、よく警察に捕まらなかったこった。
約束通り1000リラを運転手に渡すと、残り5000リラと、それとは別にチップなのか、150リラをこの爺さんは運転手に手渡した。 車を降り、スーツケースをカートのある所まで運んでからカートに乗せてやる。 「Thank you very much .」ゆっくりと、そう言いながら爺さんとその奥さんは僕に握手してくれた。
 さあて、チェックインしようとTWAのカウンターへ行くとまだ登場手続きは行われていない。
すでにカウンターの前には列が出来ているが、日本の団体さんがいる。 それも女性ばっかり・・・・まあ、僕にすればみんなお姉さん達ばっかりって事になる訳だけれど。 全ての手続きを済ませてから搭乗までの時間が長く感じられた。 本当ならリムジンで来る予定だったが、思わぬ誤算でだいぶ早く空港に着いたためだ。

 アテネ行きのB−747に乗ると、隣の席はさっき見かけた日本人女性達の一人だった。
挨拶をして話し出すと、その人はこの団体さんのリーダーのようで、この旅を企画したんだそうだ。 来年大学を卒業したらアメリカに留学するとかで、この旅の後、1ヶ月しない内にアメリカへ一度行くのだそうな。 多分、お金持ちのお嬢さんなんだろうなあ・・・・でも世の中不公平だと思うぞ。 美人でお金持ちのお嬢さんで、今回欧州を旅して、今度はアメリカ、大学を出たらアメリカへ留学だなんてなあ。 僕は今回の旅の為にどれだけアルバイトに精を出したか。 大体やなあ、授業中居眠りしててもな「あいつはクラブとバイトで疲れとるんやから、まあ寝かしといたれ。」言うて気い使ってくれた程・・・・・・・などと、馬鹿な事を考えても仕方ない。 それにしても、上品そうで知的な感じの人やなあ・・・・・・それに、沢田研二のファンだと言うから、これがもう・・・・・アテネに着くまでその話で盛り上がった。 それに、機内食で出た焼き鳥のような食事、美味かったなあ。


青空の下で(アテネ)

  なかなか僕の荷物が出てこない。
パルテノン神殿

普通のスーツケースとは違いキスリングザックの荷物の出し入れ口には鍵が無く、紐で括ってあるだけなのでその紐が解けでもしたら一巻の終わり。  ザックはアルミのフレームに止めてあって、メインの荷室は上下二段構造になっている。 そしてその両側に、ファスナーで閉まるようになっている小さなポケットが2個ずつ付いている。 メインの荷室の下側はファスナー(チャック)で閉まるが、上の荷室はザック本体の覆いを被せて紐で縛る。 もし、この紐が解けでもしたら・・・・・当然、上の荷室に入れてある荷物は外に出てしまうって訳だ。
 ザックへのパッキングの基本として一般的には軽い物を下の荷室に、重い物を上の荷室に入れた方がザックをしょって歩く時は疲れにくい。 所が、飛行機に乗る場合荷物はカーゴに入れなければならないから、万一の事を考えて、そんな事はおかまいなしに重要品を下に入れて、万一紛失しても問題の無い物を上に入れておいた。 貴重品は手荷物で機内に持ち込んでいる事は言うまでもないよね。

 「お先に」
機内で隣に座っていたお姉さん達が僕に手を振っている。
「ええなあ・・・・・・」 ちょっと不安になってきた。 僕の不安を助長するように、コンベアの上に乗っている荷物が段々と少なくなっていく。 「おいおい、ほんまに大丈夫かいな?」 そんな不安な気持ちが思いっ切り僕の心に膨らみ上がった途端、「まてよ・・・・」今度は関西人の強かさ?か「荷物がカーゴの中で散乱してたり、万一、違う便にでも乗ってたらなんだよな・・・・飛行機会社の責任やな。 それなら、お詫びの印に今夜は高級ホテルでご一泊・・・・・・なんて。」ことはないかな? そう考えるとそれまでの不安はどこえやら。 そんなトラブルもええ経験になるかもしれんし、何かのトラブルで帰国が遅れて夏休み中に帰国出来ないなんてことにでもなれば、どうどうと言い訳が立つんちゃうか? 今度は、荷物が出てきてくれるななんて言う気持ちが芽生え始める。
 まあ、そんな都合の良いように話は進まないもので、コンベアに乗って出てくる荷物が殆ど無くなった頃、忘れられたように僕の赤いキスリングがコンベアに身を横たえて出てきた。 「旦さん、おまっとさん。」と、そう僕に声掛けているようにも、肩肘ついたのんきな姿にも見えた。 
 コンベアからキスリングを下ろし、まずは覆いの紐を確認するとちゃんと締まったままだ。
重さもローマで預けた時と変わりないから、中も無事らしい。 
 通関も簡単に通過して、Exchangeでお金を替えて、さあ市内へ出発だ。
リムジンバスのターミナルに行くと、市内へ行くバスが2系統停車している。 5番と12番、さてどっちにしたものかと考えるが、ここは安い方に乗ろう。 5番のが安いので5番のバスに乗車。

 アムステルダムで分かれた団体さんとはこのアテネで合流することになっている。
アトランティックホテルというホテルに泊まっている筈なので、アテネではこのホテルに近い場所で安宿を探すことにした・・・・とは言うものの、当のホテルを探し当ててみれば、どうもこの近辺では安そうな宿は無さそうだ。
 どれくらい歩いたのだろうか? パルテノン神殿が近くに見える辺りで一件のホテルに入ってみた。
これまでの調子で空室と値段を聞いてみると、75ドラクマだと言う。 空港でお金を替えた時、5千円で530ドラクマだったから、その計算でいくと一泊700円ちょっと。 カウンターにいるオッサンがノールーフだと言ってるが何のこっちゃ解らない。 まあ、この位の値段ならいいやって事でチェックインする事にした。
 ついて来いって言うので、そのオッサンの後をついてくと、階段をどんどん登り始めた。
薄暗い屋内の階段を登ってると、急に上の方から陽の光が差してきた。 扉が開いているのは分かるが何だか明るすぎる。 その階段を登り切った時、僕の目に入ったのは何と、建物の屋上。 日本語で言うところの陸屋根(平屋根)ってやつだ。 その屋上ベランダのような所に幾つかのテント(と言っても毛布の天井だけ)が張ってある。 まあ、陽は遮られるのと、少しの夜露は凌げますって程度のもので、その下にベッドが置いてある。 何人かの白人旅行者がぼんぼんベッドに横たわって日光浴をしている。
まあなんと長閑な姿だ・・・・・・・・・。 でも、これで700円って考えると、これは高いなあって気がしてきた。 これなら、その辺でごろ寝したらタダだからね。 
 そんな僕の心境を察したのか、オッサンが僕に向かって何やら説明し始めたぞ。 どうやら、ここならあの神殿の夜景が綺麗に見えて、壁に囲まれた部屋の中なんぞで寝るより遙かにええぞ、ってそんな事を言っているようだ。 「それだったらオッサン、毎晩ここで寝たらどないやねん。」と言いたいが、確かにこのオッサンの言ってる事には一理ある。 納得。

 荷物をベッドの横に置いて、さて出掛けるかとも思ったが、アテネには明日丸一日いるんだからそう忙しくする事もないか。 空いてるぼんぼんベッドに僕も横たわり、呆けーっとパルテノンの方を見ていると、横にいたヒッピー風のお兄さんが話しかけてきた。 彼はベルギーの大学生とかで、彼女と二人で旅をしていると言う。 僕が日本人だと言うことは直ぐに分かったらしく、京都や奈良の事を色々聞かれたが、なんだか結構お寺の事に詳しいようだ。 
 お前は京都の大学に通ってるのか?
などと唐突に聞かれたが・・・・・冗談ぬかすな、日本にゃ神戸にも大阪にも、東京にも名古屋にも、どこにだって大学はあるぞ、と言いたいがそんな高度な会話が僕に出来る訳がない。 僕は高校生やと言うと、じゃあお前は京都の大学に行くのか?ってな事を言っている。 おいおい、こりゃあ参ったなあ。 ザックから紙を持ってきて、日本の地図を描いて僕が住んでいる町の場所をポイントすると、「神戸の近くじゃないか。」ってな事を言って驚いた様子。 京都キョウトと言う割に、僕が描いた地図を差しながら的確に都市の名前を言い当てて行く所をみると、やっぱり日本に大分詳しいようだ。

 言葉が通じない状況での会話は、時間に比例しただけの内容が伴わない。
なんだか、それ程話したように思わないが陽が傾き始めたようだ。 晩飯に出掛けようと、彼らに行かないかと誘うと、ここで食べようと言う。 パンはあると言うので、他の物を一緒に買い出しに行くことにした。 野菜や果物、それにコカコーラを買って戻った頃には、他の宿泊客も何人か戻っていた。 そこで、飯はどうするの?って話がまた始まって、いっそここでみんなで食べようとなった。
 陽が傾きパルテノン神殿が朱色に照らし出され、その色が深くなり出すと周囲はどんどん暗くなる。
みんなでワイワイやってる内にパルテノン神殿の事も忘れていたが、誰かが神殿の方を指差して「見てみな」ってなことを言う。 成る程、暗い夜空にあの神殿が浮かんでいるように見える。 さっきの朱色ではなく、白く夜空に浮かび上がっている。 
 それまでワイワイガヤガヤと騒々しかったホテルの屋上が一瞬、シンと静まりかえった。
遠い昔の人達もこにょうな光景を見ていたんだろうな。 ただ、当時はサーチライトなんて無かった筈だから、あの神殿も今とは違った姿に見えた筈だ。 一体、どんな風に見えていたんだろう。 夜空に輝く星達、そう、天も地も、ここは神話の世界。