アクロポリス

 8月12日(日)
誰かが僕の肩を揺さぶる気配で目が覚めた。
ベルギーのお兄さんが僕を起こしてくれたようで、良かったら一緒に朝飯にしようと言うことらしい。 昨夜の残り物で彼の彼女がサンドイッチを作ってくれている。 塩が少しきいたパンにサラミを挟んで食べるのはパリでも気に入っていて、これは朝から御馳走や。 飲み物はやっぱりコカコーラで、この取り合わせがすっかり気に入っている。
 彼らは今日このホテルをチェックアウトしてミケーネに行くと言うから、これでお別れだ。
一方、僕の方は今日一日このアテネにいる予定だから、早速、昨日から眺めるだけだったあの、パルテノン神殿に出掛けることにする。 二人とホテルの前で別れた僕は、神殿を目指した。

  ヨーロッパの美術館や博物館は、ユーレイルパスやユースホステルの会員証、学生証を持っていると割引や無料になる場合が多いが、それ以外に、週一日だけ無料の日があることが多かった。 あのルーブルだって例外じゃない。(1973年当時)  今日は日曜だけど、それでなのかどうか分からないが、入場料は無料だという。
  さっそく、ブーレエ門を抜けてアクロポリスの丘へ登ることにするが、これがどうして、洲本にある三熊山に登るのと変わらない。 結構急な上に、足下の石がよく滑るので注意しながらゆっくりと登っていく。 時々、神殿の方を見上げると、上は結構風があるらしい。 神殿の前門まで登ると右手にアテナ・ニケの小神殿が見える。 この神殿は、この先、パルテノン神殿横にあるエレクティオン神殿と共にぜひ見たかった建物。 アクロポリスと言えばパルテノン神殿だが、遠くから見てこそ綺麗だと思うが、こうして近くによってみるとパルテノン神殿その物(部分部分は別として)はそれ程綺麗だとは僕には思えない。 ところで、この辺りが一番足下が滑りやすく、注意していないと転んでしまいそうだ。 
エレクティオン神殿カリアティッド

 
 思っていたよりは急な道を登り切るとパルテノンの大きな姿が目に飛び込んできた。 残念ながら、正面から見て左側が補修工事の為か一部に足場のような物が組まれている。 なんだか、何処へ行ってもこのような工事のため、折角の教会やなんやの大切な遺産が足場で覆われていたりする。 余程運が悪いのか、それとも、それだけ古い物が多く残っているってことなのか?
 パルテノンに近づくにつれてその大きさを実感し出すが、僕が一番驚いたのは、意外に基壇が大きなことだ。 全体のプロポーションから想像すれば、基壇がそれ程小さな物でないことは解る筈だが、僕はこれまで、せいぜい階段程度のつもりでいたのだが、これはとんでもない誤解だった。
 この神殿が出来た頃の姿を想像すると、それはもう素晴らしかったのだろうけれど、僕に学が無いからか、美的センスが無いからか、なんだか目前にデンと鎮座ましますパルテノン神殿の姿がまるで単なる掘っ立て小屋のデカイのに見えてくる。 46本立っていると謂うドリス式の柱の高さ10m、その円柱の直径は2mあると言われるが、この柱、一本物だと思っていたら、輪切りで積まれているではないか。 これは知らなかった。
 
 それにしても、よくもまあ、こんなに大きな建物を作ったものだ。
小さい頃、父の実家に出掛けると山遊びをしたものだ。 山中を駆け回り、ツタにぶら下がってターザンのように木から木に飛び移る・・・・のは無理として、ブランコごっこをしたり。 そんなある日、山の頂上付近で大きな縦穴を発見した。 穴の周りは大きな石で囲まれていて、その穴の底へ弟と、近くに住む親戚の子と入った事があった。 その頃はそれが何か知る由もなかったが、後に考えて見るとあれは古墳だったのだと思う。 多きな石が積み上げられ、これは絶対に秘密基地だとか、いやいやこれが噂に聞く防空壕だとかといって騒いでいたものだ。  しかし今、目前にあるのはそんな構築物とは次元が違う。
 このパルテノン神殿や他の小神殿群は19世紀になって復元されたものだ。
BC432年に完成したこの神殿も時代の移り変わりと共にキリスト教会、イスラム寺院、そしてベネチア軍がアテネに侵攻して来た時は弾薬庫として使われたらしい。 その戦闘の際、ベネチア軍が放った大砲がこの神殿に落ちた事が原因でパルテノン神殿は破壊される。 この聖なる丘も単なる住宅地とイスラム寺院に占領される時代が続き、今のような姿に復元されたのは先に書いたように19世紀に入ってからのことだ・・・・・と本には書いてあった。
 ローマでも多くの巨大構造物を見てきたが、何故か、このパルテノンはそれらの構造物とは違う印象を僕に与えてくれる。 それが何なのか?と聞かれると、残念ながら僕には解らない。 無理なこじつけで言うと、神殿の基壇が奴隷層で、柱が市民、その上に上層市民の梁があって、天井、こりゃ神域かポリス、つまり都市国家? そんなイメージを抱いてしまう。 建物がこの時代の社会をそのまま形取っているようにも見えるが・・・・・・・・。 

 アクロポリスの丘を下っていると、下から見覚えのある顔の人達が登って来る。
JAL403便で僕の隣に座っていたおじさん達だ。 僕を見るなり「無事に来られたようですな。」と一言。
そりゃあ、無事でなくてどうしますか。 後から、このグループの人達が続いて登ってくる。 軽く挨拶を交わしながら、僕は滑りやすい足下に注意しながら下界に近づいていく。



アクロポリス周辺

 さあ、これから何処へ行こうか?
ブーレエ門まで戻った後進路を左に取り、ペリパトス通り沿いに歩いて、アクロポリスの周囲をぐるっと回ってみることにする。 直ぐに大きな野外劇場のような物が見えて来るが、これはイタリアのポンペイでも見たのと同じような物だ。 このヘロデス・アティックス音楽堂は1800年以上もの昔、ある富豪が亡くなった奥さんを偲んで、アテネ市民に寄付したと謂われる物で、現在でも野外劇場や音楽堂として使われていると言うから凄い。 そう言えばポンペイのあの野外劇場も夏には現在でも野外劇が行われると言う。 
 そのまま真っ直ぐ歩いて行くとディオニソス劇場を抜けて、やがて道は二手に分かれる。
アクロポリスを周遊するにはどう考えても左方向だろう、地図を見るまでもない。 アクロポリスの丘の上の方を時々見ながらぶらぶらと道沿いに歩いて行く。 暫くすると右手には古代アゴラが見えてくる。 アゴラとは「市場」と言う意味だと本には書いてあって、それによれば、単なる市場としての機能だけでなく、そこは様々な議論も行われた場所でもあったらしい。 当時、買い物は男の役目だったので、その買い物ついでに市場で色んな議論をしたのだろう。 早い話が、井戸端会議場みたいなものか? ローマにはフォロという場所があって、コロッセウムの近くにフォロ・ロマーノって遺跡が残っているけど、それのアテネ版ってことになるのかな?


ヘロデス・アティックス音楽堂 アクロポリスの近くで見つけた教会 古代アゴラ博物館とパルテノン神殿

 とことこ歩いていると、左手に突然大きな建物が現れた。
一見ギリシャ時代の建物かなと思わせる感じだが、見たところ新しそうだ。 よーく見て見ると、なんだか博物館のような感じにも見て取れる。 通りがかりの人に聞いてみると、やっぱり博物館らしい。 面白そうだけど、こうやって街中を歩き回ってる方が楽しそうなので、ここはやめとこう。 そこから少し歩くと、僕が歩いている道より下の方に線路が見える・・・・と、電車が近づく音がして、その内えらく古そうな、そうやね、遊園地にでもありそうな電車(木製車体)がゴトゴトと音を起ててトンネルの中に消えて行った。 地下鉄かな? これまで旅してき来た国々と違って、このギリシャ、いやアテネの事はあまり詳しくは無い。 街の地理だってこの地に着いてからちょっと確認した程度なので、何処に何があるのかイマイチ、ピンと来ない。 ただ、パルテノン神殿の見え方で、今、自分が街のどの辺りにいるのかはおおよその見当がつくって感じだろうか。 何だね、アテネって言うとパルテノン神殿の印象があまりにも強くて、それまで、それ意外の色んな場所や物について無知で居過ぎたようだ。
 アクロポリスを一周したのか、ヘロデス・アティックス音楽堂が見えて来た。
ハドリアヌスの門

その先を道沿いに進むと、正面に公園のようなものが見えて来て、大きな建物の壁だけがぽつんと建っている。
いや、これは壁じゃあない。 TV番組で見た覚えがある・・・・ハドリアヌスの門と言って、確かローマ時代の遺跡だ。 まるで空襲にでも遭って破壊された建物の一部が残ってるような無惨な姿で、排気ガスのせいか表面が黒ずんでいる。 それにしても、こんな姿のままでよく倒れずにローマ時代からこれまで立っていたもんだ。

 ローマでも感じた事だけど、毎日の生活の中に、いや側に何千年も前の建物や遺構が当たり前のように存在し、それらと共に生活を送っている日常ってどんな感じなんだろう。 僕は旅人だから、これらの建物や遺構を観光対象として多分、捉えているんだろうけれど、これがもし毎日の生活の中にあごく当たり前のように存在したとしたら??
 僕が通っている高校は小高い山の上にあって、その校舎の一角には弥生時代の縦穴住居後が残っている。(弥生が丘とも呼ばれている。) 運動場の端、僕等が毎日柔道の稽古に励んでいる武道場のすぐ横には、この学校を造るために山を崩していて見つかったと思われる石棺の一部が飛び出した状態で残されている。 毎日のようにこれらは僕の目に触れている訳だけれど、これらは遺跡と言うより痕跡と言った方が正確だ。
 日本で言えば鎌倉や京都、奈良を想像すれば良いのかも知れないが、キリストが生まれる以前の時代からの建物や遺構(復元されたものも含めて)が毎日の生活の中で生きている街。 淡路島の中の小さな町に生まれ育った僕にはちと想像がつかない事だ。 

 日本は木の文化だと言われるのに対して、欧州は石の文化だと言われる。
もっとも、スイスなんかでは多くの木造建築を見たし、他にだって木造の建物が無い訳ではない。 ただ、古い建物の殆どはやはり石造りだ。 建築材料の違いを日本の地震や気候に求める人がいるけど、地震についてはイタリアにだって地震はあるし、他にも地震があるにも拘わらず石の文化を持った国や地域は多く存在する。 しかも、大地震があったからと言って、石で出来た大きな建築物が脆く崩れ去ったと言う話はあまり聞かない。(本当に石造りは地震に弱いの?)  耐震性が理由で日本では木造が多かったと言うのなら、イタリアの火山地帯では木造建築が発達したんじゃないのかな? 木が少なかったから? でも、昔はイタリアもギリシャも木々が一杯生い茂っていたと何かの本で読んだことがある。 気候? 確かに日本の気候を考えると、石造りでは住み難いかも知れないけど、同じような多雨地帯でも石の文化の所が無い訳ではないと思うんだけどなあ。 いずれにせよ、石の文化、文明ってのはやはり木のそれに比べて耐久性は高いと言う事なのだろうか?