幻影・・・・コロッセオ

 午後10時過ぎ、3人でペンシオーネを出て夜のローマ見物に出かけた。
夜のトレビの泉

まずテルミニ駅へ出て、その正面、五百人広場の向こうにあるディオクレティアヌスの浴場跡へ行く。 浴場といってもローマ時代の浴場跡で、別に今から3人でお風呂に入りに行った訳ではないし、当たり前の話だけど、お風呂屋さんがある訳でもない。 遺跡のまわりはライトアップされ、多くの人がいる。 ローマへ来たら行ってみたいと思っていた場所の一つにカラカラ帝の大浴場跡があるが、規模こそあちらより小さいものの、ここもローマ時代の浴場跡には違いない。
 夏の夜店感覚で雰囲気を楽しんでいると、小村さんが小さな屋台でココナツの実?(切れ端を冷たい氷水に浸けてあったもの)を買ってきてくれた。 始めて味わう味・・・・美味いのかそうでないのか、でもここは雰囲気とセットで味わいながら僕らはトレビの泉に向かった。 
 夜のトレビの泉は昼間とはまた違う雰囲気。
ライトアップされた噴水の彫刻群、それに、なによりあの悪ガキどもがあまりいない。
ぽかーんと見ていると、この噴水がローマ時代の物と勘違いしてしまいそうだけど、実際の所、この噴水(ポーリ宮殿の壁を使って造られている。)が出来たのは1760年代。 もともと、ここはローマ時代に造られた多くの水道の一つの終着点で、当時、それぞれの終着点に噴水や泉が造られる事が多かったそうだ。 そんな事もあって、早くから噴水はあったらしいが、現在の形となったのはそう古い事でもない。
この泉(噴水)、正面から見ると・・・・そうかあ、ネプチューンの後ろにあるあの構造物、建物の壁に造られているとはいえ、これは凱旋門や。 これはコロッセオの横にあるコンスタンチヌス凱旋門やパリのそれともよく似ている。 今まで気付かなかったけど、これはきっと凱旋門だね。

 トレビの泉を後に、細い道を抜け大統領官邸を左に見ながらコンスルタ宮殿の角を曲がるとセルペンティ通りになる。 この道を真っ直ぐ進めばコロッセオにぶつかる筈だ。 途中、小村さんが果実酒を買う。 道には車一つ通ってないので、3人横に並んでふらふらとそぞろ歩きしていると、「飲むかい」と言いながら小村さんが田中さんにその果実酒を差し出した。 彼はそれをちょっと飲んだ後、今度は僕に「飲むかい」と言いながら果実酒の瓶を差し出す。 僕は酒にはめっぽう弱い。(未成年なのに弱いもあったもんではないが・・・・・) でも、ここは外国。 「飲むかい?」と聞かれて断ってたんじゃあ折角の機会が台無しになる。 彼から瓶を受け取ると、彼らがしたようにラッパ飲みでその酒(この程度じゃあ酒とは言わないか。)を口に含んでみた。 「まずい・・・・」どうも僕には合わないようだ。

 コロッセオに着いた頃にはもう11時をまわっていた。
フォロロマーノ

照明に浮かび上がったその姿はあまりにも幻想的で、圧倒的な迫力で僕に迫ってくる。
甲子園球場や西宮球場と変わらない位の感じでいたが、実際にこの巨大な構造物の前に立ってみると全然違う。 それは大きさとかそう言う物ではない。 いや、歴史の大きさもあるだろうし、その建物の威厳に満ちた姿に圧倒されたと言うべきなんだろうか?
 コロッセオには腰位までの簡単な柵があるだけで、その柵も所々途切れているから簡単に中に入れる。 さっそく中に入って見ることにした。 ライトアップされているとは言え、建物の外だけが照明されているので、中に入る通路は暗い。 恐る恐る、興味津々で中に入ると、観客席は墨を落としたように真っ暗で、むしろ空の方が明るく感じる。 建物の部分の暗闇に反して、空の部分は満天の星が輝いている。
 壁を伝いながら、嘗ての闘士控え室(コロッセオのグラウンドの地下は控え室や、戦わせる猛獣の檻があったと云う。)に降りて、コロッセオの中央へ歩いて行く。
何気なく空を見上げた僕は驚いた。 周りの壁(コロッセオの観客席)が360度、僕を押しつぶすかのように覆いい被さって来るかのような圧迫間。 まるで井戸の中から空を見ているような感覚。
遙か昔、ここで生死をかけて戦った闘士達も同じように、この空を見上げたんだろうなあ。
いや、こんな悠長なものじゃなく、最後のとどめを刺される瞬間かいま見たかも知れない空。
あの皇帝ネロはどの辺に座って観戦したんだろうか・・・・・僕の頭には幾つもの映画のシーンが浮かんでは消えていく。
 なんて映画だったろうか、キリスト教迫害を描いた映画の最後のシーンで、こんな場面があった。
キリスト教徒がこのグランドに引き出される。 その後ろにはローマ軍の槍の名手達が並んで立っている。 兵隊の隊長だったろうか、彼が言う「向こうに向かって一人ずつ走れ。 もし、兵士が投げる槍に当たらねば命は助けてやろう。」 やがて、一人ずつ、教徒が言われた方向に必死に駈けてくが、皆槍の餌食になって行く。 何人かが犠牲になった後、その映画の主人公(若い女性)の番になる。 すると、その女性はゆっくり歩きながら兵達を背にして自由への道を歩き出す・・・・勿論、死と引き替えの自由だが。
 彼女に向かって槍を投げる番の兵士は躊躇する。 
隊長に促され、その兵士は槍を投げ、その槍は女性の背中を突き刺した。(のだったと思う) 
その事がきっかけで、コロッセオのローマ市民たちは一斉に教徒の助命を叫び出す。 ひときおその歓声が大きくなった時、椅子に座っていた皇帝はおもむろに立ち上がり右腕を前に差し出す。 しっかり握られた指達、ただ親指だけはピンと立てられ横を向いている。 短くも長い静粛の後、その親指はスッと天に向けられた。 その瞬間、コロッセオに大歓声が沸き上がる。 

12:30 もう遅い。 帰りはメトロで帰る。


ナポリ〜イスキア島

 翌朝、ペンシオーネをチェックアウトした僕らはテルミニ駅に向かった。
これからどこに向かうのかは三人ですでに話が出来ていた。 あの夜行列車以来、気の合う僕らは一緒に地中海の島へ行こうと言う事で意気投合した訳だ。 遺跡の多いローマにも未練が無い訳ではなかったが、どうせ高校を出たらまたヨーロッパに来るつもりでいた僕にとって、ローマのような大都市よりナポリやカプリ島、ソレント、それにポンペイの方が当面魅力を感じていた。 何はともあれ、カプリ島の「青の洞窟」とポンペイの遺跡はこの旅で何が何でも見ておきたかった。
 8:30発の特急パレルモ行きに乗車したが、列車は何と20分遅れでテルミニ駅を離れた。
列車は地中海に沿うように走るとは言え、やや内陸部を走るのであの南フランスの沿線とは随分雰囲気が違うし、列車の雰囲気も違う。 国が変わるとこうも違うもんかなあと今更ながら関心するね。 南フランスの方はTEEを使った事もあって、何て言うか、高級リゾート地を駆け抜けて行く感じだったが、こちらは違う。 なんとも長閑で、生活の臭いがぷんぷんする。 ナポリの街の雰囲気をそのまま列車に乗っけて走ってるみたいだ。 ガタゴトガタゴト列車に揺られていると、映画『鉄道員』僕自身としては、こっちの方が性にあってそうだ。
 
 10:40 ナポリ着。
ナポリと言えば風光明媚で洗練されたイメージで捉えていたが、実際、この街を歩いてみると何だか実に雑然とした感じだ。 映画なんかで見るこの街は実に魅力的で、旅情を感じるものだけれど、思っていた感じとは大分違う。 もっとも、とっても人間臭くって生活臭のぷんぷんするこの感じは、僕にとっては大歓迎のもので、一人ならふらふらとあの下町へ引き込まれて行きそうな気がするね。
 ナポリ中央駅は街の東端の方に位置し、カプリ島へ向かうための港は街の南西部にある。 この街、どことなく親しみを感じるが、考えてみると神戸にちょっと似た所が無いでもない。 小さくて狭い道を海の方に向かって歩き、海に近づいた所で進路を右(南西)に取ればカプリに行く船がいる港だ。 なんだか神戸か明石の港近くを歩いているような感じがする。
 港へ向かう途中、2人の陽気なイタリア人と出会った。

年は僕らと同じ位かちょっと上って所だろうか? 言葉は通じないが、どうやら彼らも港へ行く所らしい。 小村さんの通訳?によれば、彼らは海水浴に行くらしい。 じゃあ、一緒に行こうと港へ行くと、船が2隻すでに桟橋に横付けされている。 なんとまあ、僕にとっては身近な光景だ。 僕が住んでいる淡路島の北端に岩屋と言う小さな町がある。 この町からは播但汽船と言う定期船が明石に出ているが、そこにあるような桟橋に、同じような船が係留されてる。 これから地中海に浮かぶ小島に出かける訳だけれど、まるで明石から淡路へ帰る時のような、なんとも親しみ深い感覚が湧いてくる。 この先に、まるで僕の家があるような錯覚すら覚える。

 「急ごう」
と、二人に促され、慌ててチケット売り場で乗船券を買って船に乗ると、中はガラガラ状態。
最初は船室に入ったが、折角の地中海を船室から眺めるのもなんだと言うので、デッキに出て、舳先にあるベンチに座った。 2人のイタリア人も
一緒に椅子に座り、色々会話を試みるが、日本語に少しの英語とイタリア語ではなかなか意志が通じない。 ただ、彼らがしきりにイスキアと言う単語を連発する。 「何を言ってるんだろう?」と思いつつも気にしないでいたが、この事が如何に重大な事であったのか、船が出て暫くした後に僕らは気付く。やがて、僕にとっては日常見慣れた出航風景。
 船の大きさといい格好といい、あの播但汽船とさして変わらないものだ。 としたら、この船の速度は12ノット位かな。 航海時間は80分程度だから、ナポリからの距離は30Km程度だろうか・・・・明石海峡を渡る播但汽船で約20分、洲本と神戸を結ぶ関西汽船(この航路はもう無い)は16ノットで1時間50分。 まあ、関西汽船で神戸へ出かけるよりは短い時間でカプリに着く事が出来る。
 船が桟橋を離れると左手に軍艦が数隻停泊しているのが見える。
フリーゲイト艦・・・と言うより、旧式の駆逐艦2隻に駆潜艇のようだ。 こりゃあ、日本の護衛艦よりちと古そうだ。

 船が沖合に出て暫くした頃、例のイタリア人との会話の中である事がだんだんと見えてきた。 我が旅仲間によれば、どうやらこの船はカプリ島行きではなくて、カプリの北にあるイスキア島行きのようだって事が判ったのだ。 いやあ、参った。 港に着いた時、僕らの頭には船に乗る事しか無く、行き先まで確認しなかった。 これが列車なら、絶対に行き先を確認する所なんだが、船はカプリに行くものと言うとんでもない先入観があった。 まあ、乗ってしまい、しかも海の上では仕方がない。 ここは地中海クルーズを楽しまなきゃな。

 昼過ぎてから、岩屋のような感じの(勿論、風景は全然違うが。)小さな港に船は入港した。
あの2人のイタリア人と別れ、僕らは港でカプリ行きの船は無いか調べたが、残念ながら一旦ナポリへ戻るしか方法は無さそうだ。 次の船までの間に昼食をしようって事になった。 港の近くを散策していると、小さなレストラン(いや、飯屋って方が適切な表現だ。)があったので入る。 店先のテーブルに着き、僕はマカロニを頼んだ。 それにしても何と長閑な光景だ。 食事を待っている僕らの前を、何だか前世紀にでも出てきそうな荷馬車がごとごと通り過ぎて行く。 車の姿もあまり見ない。 僕らが着いているテーブルや椅子の質素なこと。 これは、ひょっとしたらカプリよりいいかも・・・・いやいや、青の洞窟見たい。 
 やがて出てきたマカロニは・・・・・何だか僕の母が作るマカロニの炒め物より随分荒っぽい感じで、至る所に焦げがある。 食べてまたびっくりだ。 母の味とそう変わらないではないか。 とすれば、僕の母は本場イタリアのマカロニが作れるって事か? こんな所で母の味の偉大さに気付かされるとは思いも寄らなかった。 一緒に出てきたパンと一緒に、全部食べた事は書くまでもない。