【注意】
ここで表記している事柄の多くは当時の内容、情報のまま手を加えてありません。 また、著者の思い違いや誤解によるミスがあるかも知れません。 万一、ご参考にされる場合は最新情報を収集して下さい。

写真説明           Back 
シベリア鉄道のコンパートメントにて。
出発前、従兄弟に貰ったポラロイドカメラ(モノクロフィルム使用)で撮ったもので、列車走行中に撮ったためブレて
いる。 

ソビエト極東汽船     Back
当初の計画ではバイカル号で横浜からナホトカへ渡り、シベリア鉄道でそこからモスクワへ出てヘルシンキへ向かう予定をしていた。 この頃、僕が予約していたツーリストC(一番下のクラス)の片道船賃が¥21,000.-だった。
勿論、この料金には食事やティータイムの料金も含まれていた。

残念ながら、この航路はすでに廃止されてしまい、残されていた新潟からのコースも今では無くなってしまったのだろうか。

ユーレイルパス       Back
ヨーロッパ13だったか14だったかの国で、パスの有効期間なら自由に何度でも上
下車出来る一等のフリー乗車パス。 15日、21日、1〜3ヶ月の各種があり、TEE
(Trans Europe Express)他殆どの列車に自由に乗れる。(但し、プルマンカーと寝台車は別途。) 更に、例えばドイツのライン川遊覧船やスイスのレマン湖遊覧船など、一部他の交通機関や施設も無料または割引を受けられる場合がある。
尚、TEEは原則として予約制になってはいるが、席さえあれば勝手に乗っていても
その場で予約してくれる(これは予約とは言わないか。)。
僕は一度も予約を入れた事がないが、全く問題になりませんでした。
このパスはヨーロッパでは入手出来ない事になっているので、出発前に入手してお
くほうが良いでしょう。(但し、1975年当時でも現地の某有名カード会社で簡単に入手出来ましたが。)
・スチューデントレイルパス
 学生向けのパスで2ヶ月有効。 値段はユーレイルパス(1ヶ月)と同じ位だが、2等であることと、入手時、国際学
 生証明書が必要。
・インターレイルパス
 
当時の値段でたしか2ヶ月 ¥21,000位だったと思うが、2等で乗車毎に印をもらうか何か忘れたが手続きが
 必要でちょっと面倒。 しかし、有効国が広くギリシャまで対象に入っていた記憶がある。

ナイトフェリー      Back
当時僕はカレー(Calais)経由でドーバーに入ったと堅く信じていたのだが、少なくともこの年つまり1974年のトマス
クック時刻表を見る限り、ナイトフェリーはカレーでなくダンケルク(Dunkerque)から出ていることになっている。
確かに駅名でCalaisを見ているし、その年の冬、知り合った女性(翌年結婚)とスイスへ出掛けた時も、翌年の新
婚旅行(ヨーロッパを2人で1ヶ月旅行)の帰りもナイトフェリーで、二人ともCalaisの表示を見ている。
一体僕達が見たカレーの駅名は何だったんだろう。

QSLカード       Back
交信証明書のようなもので、交信した相手と交換する。
通信時のデーターを記入する他、それそれ自分オリジナルのデザインで丁度絵葉書のように世界で一つの自分だ
けのカードを作る。(年賀の印刷物のような規格ものもあるが。)

学  割         Back
1978年からだったろうか、学生でなくとも26歳以下であれば学生扱いとして、料金が半額適用されるようになっ
た。 ヨーロッパの鉄道料金は決して安いものでは無い。 しかし、多くの割引制度が用意され、更に若者が安い
料金で旅出来るよう、色々な割引適用が用意されている。
また、学割の適用も学生証の提示だけで良いので非常に便利だった。
残念ながら、僕達の国、日本は若者達が安く便利に旅出来る制度がまだまだヨーロッパなどに比べ、遅れている
ように思えてならない。


エマヌエーレ2世記念堂     Back
イタリア統一後の最初の国王であるヴィットリオ・エマヌエーレ2世を記念して建てられた記念堂で、一見ローマ時代
の建物かと思ってしまうが、1911年の完成だからそう古い物でもない。  因みに、設計はコンクール(コンペ)形式
で選ばれたそうだ。

フォロロマーノ            Back
コロッセオの横にある古代ローマの中心地(民主政治の中心)と謂われるが、それも共和制時代の頃の事で、帝政
が布かれた頃からは単なる象徴に過ぎなくなっていったと言う。 それでも、この場所で嘗てのローマ人達が様々な
集会や商談を活気に溢れて行っていたと考えるだけで楽しい。 よく使われるフォーラムって言葉はこの場所の名前、
フォロロマーノが語源だそうだ。