夜行列車(ニース〜ローマ)

 
22時27分、ル・ミストラルは人気の無いニース駅に滑り込んだ。
ジェノバ行きの列車は33分発だから、急がないとこれに乗れない。 一緒に乗っていた日本人の殆どはこのニースで降りた。 一人だけローマに行くと言ってた人がいた筈だが、その人が見あたらない。 ザックをしょってホームに降りると、まっしぐらにジェノバ行きの列車に向かう。
 この時間、残念ながらローマ行きの直行列車は無い。 ジェノバで乗り換えがあるとは言え、ジェノバに着くのは朝の4時半過ぎになるから、ここもやっぱり1等車で座席をベッドにして寝て行こう。 1等車に乗ろうとすると車掌がやって来て、「この車両はダメだ。 後ろの車両へ行け。」と言うような事を言いながら僕を遙か後ろの方の車両、それも2等車に連れてった。 乗車すると、空いている座席がないじゃないか。 仕方ないので通路にザックを下ろして立っていると、さっきの車掌が来て今度は「通路に荷物を置いたらダメだ。」ってな事を多分言ってるんだろう。 車掌に促されてホームに降り、さらに後ろの車両に向かう。
 「ここなら良いからとっとと乗れ。」ってな調子で車掌が乗降ドアを開ける。
「おいおい、冗談もええ加減にせえよ。」通路が一杯ならまだええが、これじゃあ大阪の通勤電車並の混みようで、乗降口まで人が溢れとるやないか。 文句を言いかけたが、「時間がない」とでも言いたいのか、この車掌、自分の腕時計を指さして「はよ乗れ。」。 しゃあない、ザックを片肩に担いだまま言われる通り僕はタラップを登る。 僕が車内に入った途端、この車掌がドアを閉めた。 まあ、確かに、車掌の言う通りだ。 この車掌、ドアを閉めるなり前の方に合図すると列車はゆっくり動き出した。
 ジェノバまでまさかこんな格好で立ってもいられない。
狭い空間の中、何とかザックを下ろして辺りを見回すと皆疲れた目で立っている。 おやおや、僕の立ってるすぐ横はトイレで、その中にまで人がいる。 

 「あんたもこっちへ回されたのかい。」
人混みの奥の方から日本語。 振り返ると、人混みの中、二人の東洋人の顔が見える。
一人はル・ミストラルで会った人だった。 「これは人種差別だ」「格好で人を判断するな」・・・・彼らも同じ事を考えていたのか、僕らは暫しの間、あのちょっと小太りのアホ車掌の愚痴を言い合った。 「1等はジェノバの手前で切り離されるらしいからダメなのは判るけど、この車両に来るまでに何両か空いている車両があったよ。」と一人が言う。 実は僕も薄々そんな感じはしていた。 第一、一杯だって言う割には幾つかの車両の窓に明かりがついていなかったのだ。
 確認するにも、何故かこの車両だけ前の車両と分断されていて、通路を伝って前に行く事は出来ない。 それもその筈で、途中に数両の郵便車や貨車がある。 「次の駅に停まったら僕が前の様子を見てくるから、移れそうならその時みんなで移ろう。」と一人が言う。 それはいいが、ホームを移動中に列車が発車したら・・・・と言って、こんな状態でこれから5時間以上も居られない。 「またあのアホ車掌来たら・・・怒鳴りつけたろかあのアホ。」 この時僕はまだ17歳・・・若かった。
 そして列車は暗闇の中、どこの駅か知らないが小さな駅に停車した。
言い出しっぺの日本人が前の方に駆けだして行くと、前の様子を見てから一気に駆け戻って来た。 「大丈夫。」・・・・「走れ」3人共ザックを片方の肩で背負い、必死に前の車両の方に走る。 日本のように発車ベルが鳴る訳じゃないので、いつ動き出すか判らないからとにかくこの薄暗いホームを必死に走る。
 「ダダダダダー」
走ってる僕の後ろからシュマイザー(サブマシンガン)の発射音が響いている錯覚を覚える。
そう言えば、第二次大戦をテーマにした映画、それも脱走物で駅を舞台にドイツ兵が捕虜やユダヤ人を銃撃するシーンを幾つも見た事がある。 僕らに命の危険は無いものの、あの大戦では何人もの人がその命の列車に向かって走り、殺されていったんだろうな。 大脱走にも似たようなシーンがあった。
 
 やっとの思いで先の2等車に辿り着いてタラップを駆け上がると、キンと音をたてて列車はゆっくり動き出した。 何のことはない、殆どのコンパートメントはガラガラじゃないか。
だれもいないコンパートメントに席をとってようやくほっとした。 さっきの車両に乗っていた人達も同じ2等のチケットを持っている筈だ。 何でこんな差別??が起きるのか。 あの人達に知らせに行こうにも、言葉は分からないし、第一、その気力もない。
 最初は3人で座っていたが、隣のコンパートメントが空いていると言うので、一人がそっちの方へ行くと言う。 「もう眠いから寝るよ。」「どうぞ、僕らはここで話してるからジェノバに着いたら起こしますよ。」
と何気なく言ったものの、ジェノバ着は早朝4:37の予定。 結局、薄暗いコンパートメントの3座席に一人ずつ、椅子の上にあぐらをかいて話が弾みだした。 この人は山形の人だが、大阪の大学に在学していて、大阪に住んでいると言う。 スペインから来たと言うのでスペインの話をしたり、僕が旅して来た国の事や色んな出来事を話していると眠気も吹っ飛んで目がランランと輝いてくる。 時折、街の明かりや近くの家の明かり、通過する駅のホームの明かりなどが、僕らの会話のテンポと同じくらいの早さでコンパートメントの中を過ぎって行く。

日の出にはほど遠い朝の4時37分、僕らはジェノバ駅のホームに降り立った。
ローマへの列車は6:50の予定だから時間は有り余るほどある。 どうやって時間を潰したのか・・・・残念ながら日記に記して無いし、僕の記憶にも無い。 
 列車が入ってきて乗り込んだのはいいが、Expressに乗ったつもりがどうやらそうではなかったらしい。 9時過ぎにローマに着く予定が、この列車だと12:24分着予定。 勿論、途中の駅で乗り換えれば少しは早く着くかも知れないが、そこは急ぐ旅でもない。 みんなの意見が一致したので、ここはちんたらとこの列車で行く事にした。


テルミニ駅
ローマ

テルミニ駅


 車窓に古い城壁が見えるとそこはもうローマ。
どこの国でもそうだったかも知れないが、特に欧州の場合は城壁都市と言われるように、外敵からの防御の為都市の多くはこのような城壁に囲まれていた。 今見ているこの城壁はローマ時代からの物なんだろう。 この城壁(と言うより外壁と言うべきなのかな?)の合間を抜けると列車は大きな駅に入って行った。 映画『終着駅』で有名なローマの入り口、テルミニ駅だ。 
 なんだか大阪の阪急梅田駅に似てるなあ・・・・パリの東駅や北駅もこの駅のような行き止まり式の駅だけど、建物が古いのとドーム型の高い天井などで何とも言えないいい雰囲気があったが、この駅は近代的で洗練されている感じを受ける。 この駅は屋根が流線型に波打ったような形をしていて(ディノザウロ、つまり恐竜って意味らしい。)、この部分の構内に柱が無いと言うことで有名と聞いた事がある。 
 
 列車内での会話で意気投合していた僕らは、暫く一緒に旅しようというように話がまとまっていた。
そうとなったらまずは宿探しだが、その前に腹が減っているし通貨をまずリラに替えなければいけない。 構内のExchangeへ行くと結構長い列が出来ている。 僕らも列に並び、僕は1万円を換金。 
 早速どっかで昼食にしようと駅を出た。 駅前にある広場の名前がチンクエチェント広場、日本語で五百人広場と呼ぶらしいが、五百人広場なんて、なんちゅうかローマに来たなあって感じ。 まるでローマ時代を舞台にした映画の世界に迷い込んだ感じだ。
 街中に出て、小さなレストランでスパゲティーを食べる。
メニューを見ると、スパゲティーは解ってもそれが何のソースなのか見当が付かない。 ええい、こんな時は「ナッポリターナちょうだい。 ナッポリターナ。」・・・・で解ったのか、出てきたのはトマトソースベースの確かに僕がイメージするナポリタン・スパゲティー。 なんて言うと、今までにそんなスパゲティーを食べた事があるように聞こえるが、実際の所はこれまで大丸やそごうのレストラン、それに神戸の喫茶店でミート・ソースとか言うスパゲティーを食べた位。 家では母がケチャップを使ってそれらしき物は作ってくれた事はあるが、僕が一番好きだったのはママースパゲティーのインスタント物だった。 
 さてさて、本場のスパゲティーはどんな味?
思っていたより薄味なのには驚かされた。 これまでの僕のイメージでは、イタリアと言えばもっとこってりした濃味かと思っていたんだけどな。 でもまあ、美味かった。 

ペンシオーネ

 さあ、宿探し。
どの位のクラスの宿がいいか・・・・そんな事は話し合う必要も無かった。
みんな寝袋しょってるんだから、いちいち相談しなくても考えは同じだ。
どの辺だったのだろうか、もう場所は忘れたが安そうなペンシオーネがあったので入ってみる。 入り口を入ると左手にレセプションのカウンターがあって、如何にも女ったらしのようなイタ公(失礼)のお兄さんがいる。 値段交渉は先輩のお兄さん方に任せて交渉の様子を見ていると、やっぱりこのイタ公(再び失礼)、えらく陽気で調子がいい。 値段は忘れたが、3人部屋でかなり安い金額のようなので、このペンシオーネに決定。 
 僕たちがワイワイ交渉し、チェックインの手続きをしていると、別のイタ公の、やっぱり女たらし風のお兄さんが階段を2階の方に登って行く。 鉄製のきゃしゃな手すりに手をかけて登って行く途上、丁度階段の中間辺りで突然、その手すりがガクンと傾いた。 どうやら、根本が外れたらしい。 「おいおい、一つ間違ったら落っこちるで。」「大丈夫かな、この建物。」「まさかローマ時代から使っとるんと違うよな。」 すると、階上にいたメイドらしい若い女の人が大笑いしだした。 つられてイタ公お兄さん達、僕らも大笑い。 何やねんこのホテルは・・・・・・。
 僕らの部屋は1階で、レセプションのすぐ近くだった。
幸いにも、この危なっかしい階段は使わなくて済むらしい。 木製の質素な感じのドアを開けると部屋は意外に広くて明るい。 

 そうそう、これから暫く一緒に旅する仲間の事は書いてなかったね。
一人はもう書いた通りで、小村と言う、大阪の大学に通う山形の人。 そして、もう一人は田中と言う人で、会社を辞めてヨーロッパにやって来て旅しているという。 実はこの旅の後、小村さんとは大阪の彼のアパートで再会し、田中さんとは数年後、ロンドンで再会する事になる。 まあ、そんな未来の話はおいといて、先に進めよう。
 田中さんがシャワーを浴びてくると言って部屋から出て行った。
暫くして彼が帰るなり、「ここのシャワー、まともに湯が出ないよ。」と言う。 続いて小村さんが入ったが、僕は夜に入る事にしてみんなで外に出た。

トレビの泉

トレビの泉にて トレビの泉(海神ネプチューンの像) エマヌエーレ2世記念堂

 これまでの街はどこも、ほぼ僕の頭に入っている大まかな地図で割と自由に歩けたが、このローマはちと勝手が違う。 勿論、有名な建物や場所の位置は大体分かるものの、街が入り組んでいて大体この辺りを歩いているって事は解っても、やはり地図無しでは話にならない。 それに、誰か便りになる人がいると頼ってしまう僕の性格もあって、進路は頼りになるお兄さん達に任せて歩き回った。 幸い、彼らも僕と似た所があって、観光地を駆け足で巡り歩く事には差ほど関心は無いらしく、ゆったりと町歩きを楽しむ事の方が好きらしい。
 しかし、この街、どこを歩いていても古い建物に遭遇するから、こんなように気ままに歩き回っていても随分楽しめるものだ。 ただ、トレビの泉は行きたいと言う事は意見が一致していたので、地図を頼りに場所を探すが、近くに来ている筈なのに、なかなか見つからない・・・・と、狭い道の角を曲がった所で、ありましたありました、目的の泉の横に出た。 「あれっ、もっと小さな物だと思っていたら、想像以上に大きい。」のには驚いた。 「後ろを向いて肩ごしにコインを泉に投げ込むと再びここに来れる」話は有名だもんで、早速僕らもやってみるが、それにしても、だ、折角投げ込んだコインを土地の悪ガキどもが片っ端から拾ってるじゃないか。 「ああ、洲本にもこんな所があったら少しは旅行資金も多めに貯まったろうに。」
 ローマにいる間にやっとかねばならない事があった。
ローマからアテネへ行くチケットの搭乗再確認ってやつだ。 TWAでのフライトだけど、日航のオフィスでも出来ると聞いていたので取り敢えず日航ローマ支店へ行かねば。 この事を話すと、二人とも付き合ってくれると言うので一緒に日航へ。 流石に日航だ、パリ支店と同じで大通りにオフィスを構えている。 中に入って手続きをしていると、支店長とやらがわざわざ出てきて挨拶してくれた。
 宿へ帰る途中スイカを一口買って食べた。(100リラ)
飲み物を買い宿に帰ってから夕食。 何を食べたんだろう、記録も記憶も残っていない。