シベリア鉄道の食券

シベリア鉄道  

 僕たちが駅に着くと、本やテレビで見覚えのある列車の姿が目に飛び込んできた。 ロシア号と対面した感激に浸る間もなく、僕たちは車内に押し込められ、各自のコンパートメントを目指す。 ここでもジェルジンスキー号のキャビン仲間は同じコンパートメント。 コンパートメントは4人用で、椅子の上には簡易ベッドが畳んであり、椅子も夜にはベッドになる寸法。 僕のベッドは入り口を入って右下。 狭いコンパートメントの中で荷物を片付け、通路に出て窓を開けるともうホームには人影も少なく、車内だけがごった返している。 やがて列車は何の前触れもなく、ゴトンと軽いショックを僕たちに与えてからゆっくり動き出した。
 シベリアと言うと雪に覆われた白銀の世界を想像してしまうが、今は夏。 雪のない景色に少々拍子抜け。 しかし、僕はこの列車で一つ楽しみにしている事があった。 それは、この列車に連結されている食堂車の事なのだけれど、決してそこで出される食事が楽しみだった訳ではない。
 僕が小学校4年か5年の頃までは淡路島にも鉄道があり、この頃の僕にとって未知の世界とはその路線の先であったり、山の向こう側であった。 ところが、この路線も経営難を理由に廃止され、バス路線に取って代わられてしまう。 そんな訳で僕は、いつか列車で遠い国を旅してみたいと思うようになっていた。 やがて高校1年の時、僕はたまたま本屋で『ヨーロッパ鉄道の旅』という本に出逢う。
何故かこの本に載っていた、シベリア鉄道の食堂車の写真が僕の脳裏に深く焼き付けられてしまい、その事が3年生夏休みに計画した鉄道によるヨーロッパ一人旅に大きな影響を与えることになった。 この旅では当初、ヒッチハイクを予定していたが、この本の影響と、小さい頃からの想いもあって、急遽、インターレイルパスかスチューデントレイルパス、若しくはユーレイルパスによる鉄道の旅に変更したのだ。
結局、TEEもフリーパスで乗れるのが魅力で一等のユーレイルパスを利用することにした。
 列車が発車してから昼食までの間、僕の心はまるでクリスマスにサンタクロースを待ちわびる子供のようにワクワクしていた。 この夢にまで見たシベリア鉄道の食堂車は、やはり僕の過大な期待を裏切るものではなかった。 それは昨年フランスやイタリアで乗ったル・ミストラルやレマノ、リギュールといったTEEの豪華さはないものの、清楚で気負いのない車内に僕は言いしれぬ感動を覚えたのだ。
 たとえ一晩とはいえ、船より狭い空間に閉じこめられた僕たちにとって、食堂車での食事時間はジェルジンスキー号の時より更に楽しみなものだった。 ジェルジンスキー号でもこの列車でも、今考えてみると、僕の感激程には質の高い食べ物でなかったのかも知れない。 もっとも、この質の高い食べ物であったとか、美味かった不味かったの表現程いい加減なものは無いと僕は思う。 何をもってして質が高いのか、何をもってして美味いと人に言えるのか疑問に思うからだ・・・かと言って、どこかの国のTV番組のように、何でもかでも美味いと褒めちぎるのも僕は好きではないが。 
 僕は旅先で口に合わないものがあると、機会ある毎にそれを再チャレンジしてみる事にしている。
折角旅先で出逢った食べ物なのに、口に合わないのを理由に食べないと言うのはあまりに早計過ぎる。 ましてそれが、現地の人達が美味しそうに食べるものなら尚更である。 何度でもトライしてみる・・・・・それで万一腹を壊せばそれはそれでいいじゃないか。(実際、そんな経験もあるが。) それがきっかけで予期しない出逢いが待っているかも知れないのだ。

 僕たちは持てあます多くの時間を他愛のないお喋りと、歌やゲームで過ごし、時には車掌さんとロシア民謡を合唱したりもした。 そのうち陽も暮れ、それまでまるで一服の絵でも掛けてあるのかと見まがうような車窓の外は、暗闇に支配された世界へと変わって行く。
コンパートメントの室内灯を消し、列車のゴトンゴトンという音を子守歌に眠りについてどれ位経ったろう、キーと言う音と共に列車が停止した。 閉じてあるカーテンをそっと捲ってみると、どこかの小さな駅に停車しているらしい。
外灯の薄明かりの下、コツコツという足音と共にカンテラを持った駅員が窓の外を通り過ぎて行く。 しばらく停車の後、列車はゆっくり動き出した。
 昔、第二次大戦を舞台にしたモノクロ映画で、米英捕虜がドイツから列車で脱走するというのがあった。
その中で、深夜の駅に停車している間、駅員がカンテラを持って歩き回っている様子を、捕虜達が目を凝らして伺っているシーンがある。 今、カンテラを持って静寂の中を歩き回る駅員を見て、何故かそんなシーンを思い出してしまった。 そしてそれとほぼ同時に、僕の脳裏にある旋律が流れて来る。 それは映画『鉄道員』のテーマだ。 小さい頃、僕はこの映画を何処かで見、あの酔いどれ運転士の姿と、彼が列車をどんどん走らせているシーンが強烈な印象となって残っている。 いつしか、捕虜脱走のこのシーンと『鉄道員』のテーマが僕の頭の中で融合し、これら全く違うもの同士が何故か一つのイメージとして僕の頭に形造られてきた。 意識の奥底に繰り返し流れてくる、『鉄道員』のもの悲しい旋律と共に僕は再び深い眠りについた。

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アエロフロート

 翌日の昼前、列車はハバロフスク駅に到着した。
探検家のハバロフが開いた街だということは何かの本で読んだ気がするが、それ以外の僕のこの街に対する知識と言えば『ハバロフスク小唄』とか、先の大戦で多くの日本人捕虜抑留、そして日本人墓地位のものか。
 残念ながら、この街でも僕たちは慌ただしくバスに乗せられ、メインストリートのような大きな通りを通って、インツーリストホテルとやらへ護送、いや、送られ、このホテルで昼食となる。 食事が終わると市内をゆっくり見る間もなく、僕たちは再び慌ただしくバスに乗せられ今度は空港へ。 いよいよこれからモスクワまで9時間の空の旅が始まる。 日本のローカル空港をちょっと殺伐とさせたような空港で登場手続きを済ませると、B−727を大きくしたような(727は2発エンジンだが、この機のエンジンは4発。)、見た目にはちょっと不格好なジェット機に乗り込んだ。 僕の席は機首に向かって左側後方の窓側。 席に着くと、窓からは民間機に混じって所々にシートで覆われた軍用機の姿が見え、僕らの飛行機が動き出す前にも2機、もの凄いジェット音を響かせながら離陸し、シベリアの空に吸い込まれて行った。
 小学校から中学校にかけて、僕は友達とよくプラモデルを作ったもんだ。
皆それぞれ自分の好きな分野があって、例えばAは戦車を、Bは飛行機を、Cは車をというような具合だ。 僕は艦船モデルを主に作っていたが、時には戦闘機のプラモも作ったりはした。 だから、代表的なミグやスーホイ位は知っている。 シートで覆われてはいても、いい加減な想像で、「あれはミグ・・・・・それも17かいな」などと考えるともう、頭の中には昔見た映画、あれは朝鮮戦争を舞台にした空戦物でF86とミグ17のドッグファイトのシーンが蘇って来る。(確か主演はジョン・ウエインだったっけか。)
 そうこうする内に搭乗機はゲートを離れ、誘導路を滑走路に向けて走りだした。
この間、僕の後ろにある食器棚のような所からガチャガチャと食器?の揺れる音がする。 「大丈夫かいな」
僕たちが走っている反対側を戦闘機が3機同時に、編隊を組みながら飛び上がって行く様子が窓から見える。 僕は戦争体験者じゃないので見た訳では無いが、昔のレシプロ戦闘機なら「おーい、頑張って来いよ」と思わず声も掛けたくなるが、ジェット戦闘機じゃちょっとそんな気にはなれないなあ。 
 やがて機は誘導路から滑走路に入る最後のコーナーを僕たちに軽い横Gをかけながら一気に曲がり、そのままエンジン推力をグングン上げて行く。 「離陸許可もろたんかいな」 体がシートにグーと押しつけられるような感触を味わった後、機体はフワリと浮かび上がり、さっき戦闘機が吸い込まれていった同じ空へと駆け上がって行く。
 後で判ったことだが、この国の路線パイロットは殆どが軍出身であるため、かなり荒っぽい操縦はするが腕の方は結構なものらしい。 しかしだ、僕が驚いたのはこれに留まらなかった。 機がまだまだ角度をつけて上昇中であるのに、スチュワーデス達がシートから離れて作業を始めたではないか。 確かにこの国やヨーロッパで、大型トラックやバスを自在に操っている女性の姿を何度もみかけた。 だからこの位のことで驚いたのでは駄目なのかも知れない。
 これからの9時間は地球の自転に逆らって飛ぶ。
今飛行しているルートを境にして北の方向、つまり僕が見ている窓と反対の方向に行けば、シベリアの永久凍土が続き、更にその先には1年前僕がまだ高校3年の時、JAL403便で通過した北極圏がある。 僕が座っている窓側を南に進むと、やがてアジアの屋根と呼ばれる数々の連峰に突き当たり、その向こうにはアジアの国々が軒を連ねている。 遠く地平線の彼方、そこにはシルクロードが空路と平行して西へ延びている。 古くはアレキサンダー大王が西方から、ジンギス・ハーンが東方から帝国を築き上げ、また、マルコポーロが歩いたのだろうか、これらの国々。 こんなに色々な事柄が僕の足下に広がっている。
 先のヨーロッパ旅行の帰り、南回りで23時間の行程を経験していた僕にとって、9時間の空の旅はそれ程長く感じるものでは無かった。 地上に見える何一つのものも見逃してはならないと、まるで小さな子が初めて電車に乗ったとき、椅子に膝を乗っけて外を見ているような、そんな気分がこの年になってもまだ抜けない。

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モスコ(ウクライナホテル)
ウクライナホテルの宿泊証

 ナホトカ航路によるシベリア経由でヨーロッパに出る場合、モスクワがヨーロッパ各都市への窓口になる訳だが、この先、ヨーロッパ側の一般的な窓口となる都市と言えばヘルシンキ、アムステルダム、ワルシャワ、ウイーン、パリ等がある。 この当時、ソビエトを通ってヨーロッパに出る場合、必ずソビエト国内のどこかの都市で宿泊することが義務付けられており、我々の場合はモスクワで2泊することになっていた。 モスクワ以降の目的地によって泊まるホテルが振り分けられており、僕のジェルジンスキー号でのキャビン仲間はここでも同じホテルになるらしい。
 空港からモスクワ市内へはかなり年代物のバスで、一応舗装はされている道をどれくらい走ったろうか。 しかし、この道を走っている限り、とてもモスクワなどという大都市へ向かっているとは思えない。 行き交う自動車はどれもこれも相当くたびれかけており、偶に新しそうで綺麗な車が来るとまず間違いなく軍関係車両。 この国の強大な軍事力が決して余裕を持って維持されていないであろうことは素人の僕にも想像がつく。
 バスは市内に入り、街の中心部を迂回するように走っているようだ。
僕が嘗てモスクワの地図をよく見ていた頃の記憶だと、空港からウクライナホテルへ行くには、チャイコフスキー大通りからカリーニン大通りに入ってモスクワ河に向かう筈だ。 やがてバスはモスクワ河を渡ると、石造りのどっしりした大きな建物の前で停車した。 陽はすでに沈みかけ、当たりは薄暗くなっていたが、その建物がこれから2泊する予定のウクライナホテルであることはすぐに理解出来た。

 フロントでチェックインすると部屋のカードと鍵をくれるので、部屋まで自分たちで勝手に行く。
年代物のエレベーターで部屋のある階まで昇ると、広い廊下の片隅に木製の小さな机と椅子があり、そこに一人の女性が座っている。 そしてこの何の味気もなくダダッピロイ空間の遠くの方から、まるでここにあるすべての物にじんわりと穏やかに染み入るように、ラジオの音が響いて来る。 
 小学生の頃、僕はこれとよく似たシーンをテレビで見たような気がする。
確か、お多福風邪で学校を休んでいた時の事で、体調自体はそれ程悪くもなかったので、櫓コタツに入って訳も解らずただ漠然と母親が見ている映画を一緒に見ていた。 それはモノクロ(もっとも、当時家にあったのはモノクロTVだったので、映画はカラーだったのかも知れないが。)の古い映画で題名など覚えていない。 恐らくこの映画が僕にとって初めての外国映画だったと思う。 
その映画で見た一齣と同じようなシーンが目前に現れたので、僕は一瞬その場に立ち竦んでしまった。
 時の流れと謂うのは心の中にしまってある思い出すらセピア色に変えてしまうのだろうか。
人が何かに興味を持ったり、誰かを好きになったり、夢を抱いたり、そんなことをするには必ずきっかけというものがある筈だ。 それがまして、生まれて初めて出逢った物事である場合、恐らくその時の印象は生涯その人の潜在意識の中で生き続け、その人の価値観を形成して行く一つの要素となって行くのだろう。
 僕の記憶の中に出てくる初めての異国文化、それは通っていたカトリック幼稚園での毎日の生活の中に幾つも見いだすことが出来たし、クリスマスの聖劇もやはり僕の異国文化に対する価値観を大いに支配しているように思う。(もっとも、僕は無神論者に近いが。) しかし、いかにこれらの事柄が大きな比重を占めてようとも、僕が初めて見たであろうあの映画の一シーンの印象の大きさに比べれば、それらは実に些細な事のように思われて来た。 目前に現れたその光景、それは僕の記憶の中でとうにセピア色に変色しかけていた一齣の映像。
 部屋を探しながら歩く間、どうにかしてあの映画の他のシーンを思い出そうと試みるが、やはり思い出せない。 ひょっとして、こんなシーンを見た記憶があると謂う記憶自体が僕の錯覚なんだろうか。 初めての場所の筈が、何故かしら過去に来たことがあると思える事ってよくある事だ。 だが、確かに僕はそれとそっくりの光景を映画で見ている・・・・・・どうでも良いことなのだが・・・・・と、僕の前を歩いていた同室の友が突然立ち止まり、ドアの方に親指を向けて「ここだ」という仕草をする。 扉を開くと、とにかくこれまたダダッピロイ部屋で、とてつもなく高い天井に大きな窓。 それに、ポパイに出てくるブルートでも余裕で入れるんじゃないかと思える程に大きなバスタブ。 そのタブの上の白い棚にえらく古めかしい木箱のラジオが置いてあり、そこからもあの懐かしいような音でラジオの放送がとうとうと流れている。
 この日はディナーの後何をしたんだろうか。
この時、初めてウオッカを飲んで頭がカッカした状態になり、部屋に帰る途中、売店で絵葉書を買った時、売店の太ったおばさんからごつい両手で頬を挟まれて「○×△□・・・・・・」。 ニコニコしていたおばさんの表情から考えて「大丈夫かい坊や」ってなことで言われたのだろう。 
部屋に帰ってベッドにそのまま倒れ込み、気づいたのはもう夜中だったようで、隣のベッドでは同室の友が高鼾。
ウクライナホテル前で
 翌日はインツーリストによる市内観光ということで市内の有名所を何カ所か周り、なんだかえらく格調高そうなレストランで昼食。 赤基調の部屋には多くの人物画や彫刻が飾られていて、ジーパン姿の僕たちにはちょっと場違いな雰囲気が漂っている。 
 地図を見ながら歩くのでさえ出来るだけ避けたい僕にとり、バスに乗せられ、初めての街中をぐるぐる回る観光ツアーはどうしても馴染めない。 ちゃんと敷かれたレールの上を走れば、苦労しなくても行きたい場所に行け、見たいものが見える。 でも、これでは初めて対面する色んな景色や建物、その他諸々のものと出逢った時の感動が鈍ってしまう。 この頃の僕にとって予定された感動はあまり意味を持つものでは無かった。 出来得れば、道に迷ってああでもないこうでもないとほっつき回った挙げ句、ひょいと何気なく曲がった路地の先に突然、目当てのものがドンと現れる・・・・・そんな体験を前のヨーロッパ旅行では何度となくしている。 時間の無駄は無駄でいい。 僕にとって合理的、効率的な旅では味わえない感動や出逢いがそこには存在した。 それに、このような旅は若くなければなかなか出来ないのだから。
 昼からのツアーはキャンセルして、ジェルジンスキーのキャビン仲間と市内を歩いてみることにした。
どこをどう歩いたのか、街中をぶらぶらしていた僕達は、地下鉄に乗ってみることにした。 モスクワの地下鉄はロンドンのチューブ、パリのメトロと並んで是非乗ってみたかった乗り物の一つだ。 メトロは昨年乗って、何故かキセルの仕方まで覚えてしまったが(今は出来ない構造になりました。)、他はまだ初体験。 何故モスクワで地下鉄かと言うと、万一戦争で空襲を受けた場合の地下壕、ちょっと言い方が古かったかな、シェルターとして、地中深く作られているという事を知っていたからだ。 実際に、改札を抜けてエスカレーターに乗ると、奈落の底に引き込まれそうな錯覚に陥る程深く感じる。 しかし、一体これは何なんだ。 地下鉄のエスカレーター上、通路、ホームの照明に豪華?なシャンデリア。 しかも、入って来る電車の綺麗なこと。 地上で見る車両と全然違うじゃないか。 一体、どっちが本当の姿なんだい。 それとも僕らは異次元の世界に迷い込んだのだろうか。
 処で、モスクワの街中を歩いていて、何故か街に活気を感じない。
来たばっかりの人間にその街の本当の姿など解ろう筈も無いので、さ程気にもしていなかったが何かが違う。 ジェルジンスキーのウエイトレス嬢の時もそうだけど、怒りでも憎しみでも何でもいい、何らかの感情を感じると言うことは、そのような感情と裏腹に反対の感情もそれと同じだけ持ち合わせているということだと思う。 しかし、何の感情も見て取れない社会って何なんだろう。 それとも、僕の大好きなロシア民謡のように、実はもっと奥底の方に実は熱く燃えたぎる炎を内包しているんだろうか。 そう、熱く灼熱のような炎でなく、ジワジワと芯から暖めてくれるロシア民謡のように。 きっと、ジェルジンスキーのウエイトレス嬢やシベリア鉄道の車掌さん、ウクライナの売店のおばさんが見せた姿、それが本当のこの国の姿なんだろう・・・・いや、何処のどんな体制の国だって、表面こそ違っても、その本当の姿は同じ筈なんだ。
 
 ちょっと昔ならヨーロッパへ行くと言うと、日本郵船のマルセイユ航路が有名で、かの小沢征爾も確かこのルートで渡航したと思った。 しかし、飛行機が発達し、航空運賃も手頃になった現在、わざわざシベリア経由など使わなくともより早くより安くヨーロッパに出掛けられるのだ。 にも拘わらず何故僕はこんなに回りくどい方法でヨーロッパを目指したのか。 それには3つの訳がある。
 僕が小学生の頃、『小さな逃亡者』と言う映画を映画館で見た。
両親と別れて、ある爺さんと暮らす子供がいた。 この子はある日、両親がモスコ(モスクワ)と言う街で音楽の勉強をしていることを偶然知り、その姿すら記憶にない両親を捜しにロシアへ密航する。 もう詳しい事は忘れたけれど、貨物船か何かでロシアに渡った少年は、ヒッチハイクをしながらロシアの人々に助けられつつもやがてモスコに辿り着く。 音楽の勉強をしていると言う事だけを手がかりに、やがて少年は彼の両親が勉強していたという場所を突きとめ、両親の恩師に巡り会う。 しかし、残念ながら彼の両親はすでに他界していたのだ。
 その地に留まった少年はやがて、両親の意志を継ぎヨーロッパでも有数のバイオリニストに成長する。 とうとう母国、日本でリサイタルを開き、テレビに出演した少年は、幼い頃自分を大切に育ててくれた爺さんに向けて、テレビを見ていたら是非会ってほしいとメッセージを送り、爺さんのために曲を弾く。 この様子が映し出されたテレビの前で一人の鄙びた老人が、溢れる涙をこらえながらその様子を見入っている・・・・・・。
たった一回見ただけで、それ以後この映画にお目にかかってはいないので、B級映画だったのだろう。 しかし、幼い日の僕にはこの映画があまりにも印象的で、僕にとって一時期、モスコは憧れの地であった。

 『青年は荒野を目指す』 僕が唯一、これまでの生涯でちゃんと読んだ小説。
この小説で主人公はバイカル号に乗ってヨーロッパを目指す。 この本は今でも手に入るので、あえてここでは触れないが、この本がきっかけでヨーロッパへ旅した若者は多かったのではないかと思う。
 小さい頃僕がよく見たテレビや映画は、勿論、怪獣物や西部劇、戦争物・・・・・『ローンレンジャー』や『名犬リンチンチン』『怪傑ゾロ』『コンバット』『ラットパトロール』に『シービュー号』・・・・映画になると『黄色いリボン』や『騎兵隊』『リオブラボー』・・・・切りがない。 これらと同じように、そのテーマ音楽が大好きだった。 大好きなこれらの音楽の中で、映像を伴わないのによく聴いた音楽がロシア民謡だった。
高校時代、赤軍合唱団の3枚組LPを買ってよく聴いたものだ。(今はA.スヴェシニコフのソヴィエト国立アカデミーがいいが。) ロシア民謡を聴いていると何故か心の芯からジワジワと暖められているような、そんな温もりを感じるのだ。 こんな歌を作る国は一体どんな国で、どんな人がいてどんな生活をしているんだろう。 そんな疑問がいつも心の中にあった。 

 2日の滞在の後、僕らは飛行機でアムステルダムへ向かうことになる。
再びモスクワの空港に着いた僕らは、B−727を小さくしたような中型リアジェットに搭乗。 この間のジェット機とは大きな違いである。 流石国際便、これなら遺書の準備もいらなそうだ。 これから向かうアムステルダムの街は初めてだけれど、スキポール空港は昨年の旅の折り2時間程立ち寄ったことがある。(JAL403便は東京−アンカレッジ−アムステルダム−パリ−ロンドン間に就航していた。) 

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i:アムール河の波(Classic MIDI Room)。