グリンデルワルト教会

 列車はベルンを出るとアーレ川に沿うように半時間ほど走ったろうか、やがてトゥーンを過ぎると左手に湖が見える。 「トゥーン湖や」 僕は島育ちなので大阪湾や太平洋は見慣れているが、湖ってのには小さい頃から一種憧れのようなものを持っていた。 なにしろ、淡路にはため池は一杯あるが、湖は無い。
それから、僕が小学生の頃流行った曲に『霧の摩周湖』ってのがあったな。 布施明が歌うこの歌に何とも言えない不思議な魅力を感じていて、僕は今でも湖と言えばこの曲を連想してしまう。 目前に広がるトゥーン湖が、そのようなイメージとはおおよそかけ離れたイメージであっても、僕の湖に対する憧れや期待が決して裏切られるものではない。 
 湖畔を暫く走ると列車はシュビーツと言う小さな町に着いた。
ここで乗り換えてインターラーケン・オストに向かう。 ベルン〜インターラーケン・オスト間は直通でも行ける筈だが、ベルンの駅で駅員に聞くと、このシュビーツで乗り換えて行くことを勧めてくれた。 教えられた通り、この駅で列車を乗り換え、インターラーケン方面の列車に乗車した。 トゥーン湖は北西から南東に約15Kmの長さを持つ細長い湖で、その北西端にあるのがトゥーン、そして南東(殆ど東だけど)の端にあるのがインターラーケンだ。 シュビーツはこの丁度中間に位置する。
インターラーケン・オスト駅

 鳥がまるで羽を広げたように見える二つの湖、トゥーン湖とブリエンツ湖に挟まれるように存在するのがインターラーケン。 インターラーケンにはインターラーケン・オストとインターラーケン・ヴェストという二つの駅があって、オストはどちらかと言えば市街から少し離れた場所に位置する。 これから向かう、ベルナーオーバーラントの山岳地帯向けの登山鉄道の起点がインターラーケン・オストって訳だ。
 インターラーケン・オストに着いて、さっそくグリンデルワルト行きのBOB(ベルナーオーバーラント鉄道)の時刻表を見てみると、次の電車まで45分もある。 ここがインターラーケン・ヴェストなら、駅は町中にあるから、朝早くとは言えいろいろ時間を潰す事も出来るが、町外れのオストでは周りに何もない。(今は違いますよ)  まあいい、この景色と空気を吸ってるだけでも満足なんだからと、ベンチに座ってボケーっと時間を過ごす。 それにしても、朝早くだからなのか、有名な観光地の割には観光客、いや人気が無い。 そう言えば、ベルンも以外に観光客が少なかったように思うな。

 ベルナーオーバーラント(Berner Overland)は、横文字で書けば理解出来るように、ベルン州に属する、いわばベルン州の山岳地帯の事を言って、ユングフラウ、アイガー、メンヒの三山を含む三千から四千メートル級のアルプスが連なる。 僕はこのベルナーオーバーラントって言う言葉の響きが好きだ。 勿論、この地域に点在する小さな村の名前、そう、グリンデルワルトやミューレン、ヴェンゲン、ラウターブルンンネンなんかの響きが好きでここへやって来た、とも言える。
 やっと入線してきたBOBの車両に乗る。
この山岳電車はツヴァイリュッチーネンと言う駅で、グリンデルワルト方面行とラウターブルンネン方面行に分かれるので、僕はグリンデルワルト方面行の後方車両に乗車する。 グリンデルワルトはアイガーやヴェッターホルンが見える谷間の村であるのに対し、ラウターブルンネンはメンヒやユングフラウ方面と言う事になる。 どちらからもユングフラウには行けるが、僕はグリンデルワルトにある小さな教会へ行きたいので、こちらのコースを取る事にした。
 インターラーケン・オストを発車した電車はヴェストに停車。 この駅では少し観光客らしき人達が乗ってきたが、それでも車内はガラガラ状態。 再び発車した電車は徐々に山岳地帯に入っていく。 ちょうど谷間を縫うように電車は走っていく。 ツヴァイリュッチーネンで電車が二手に分かれ、暫くすると勾配が急になってきた。 流石にこの辺りになると勾配が急なせいか、車両下部に装備されたラックレールが唸りを上げ始めた。
 ラックレールと言うのは、あのラック&ピニオンギアの原理を電車の駆動に利用したもので、レールとレールの真ん中に、もう一本のレールを敷設してある。 このレールにはギザギザの溝(歯車を真っ直ぐにしたようなもの。)が切ってあり、車両下部に着いている歯車の溝と噛み合わさっている。 勾配が急になると、この車両下部の歯車にも駆動をかけて動力を無駄なく使う事で、急勾配を登るというものだ。 こうすれば、車輪の滑りが無いので急な勾配でも登れてしまう。

目前に迫るアルプス ハウプト通りで 谷間の家(壁に人形が飾ってある)

 グリンデルワルトは標高1000m前後にある、谷間に出来た小さな村だ。
谷間と言うと暗い感じを受けるが、この間が広いせいか、雪のせいか、それとも陽の挿す方向が良いせいか、とても明るいのびのびした感じの村だ。 電車を降りて、まずは宿探しをするべきなのだけど、いつもの調子で、まずはこの村のメインストリートであるハウプト通りを村の奥に向かって歩いてく。
 その先に何があるのか、勿論僕には判っていたとはいえ、あの教会(ドルフ教会)の姿が目に入った時の感動はパリのノートルダム大聖堂を見た瞬間より遙かに大きなものだった。 この教会の写真を始めて見たのは・・・・いつ頃と特定出来ない程遠くの記憶になってしまった。 ただ、その写真はカレンダーの中の一枚であった事だけは覚えている。 あれ以来、何度となくこの教会の姿を見てきたが、ベルンのツェーリンゲン噴水同様、何故か、何が何でも会いに行かなきゃならないような衝動にずっと取り憑かれていた。 この教会の中はどんなんだろう、周りの景色はどんなんだろう、どんな牧師さんがいるんだろう・・・・・止めどない疑問の数々。 僕はこれら疑の一つ一つの答えを探すように、ゆっくりこの教会の周りを回ったり、周囲からの景色を確かめたり、そして、恐る恐る、この教会の扉を開けて中に入ってみた。 残念ながら、牧師さんはいなかったものの、シンプルで洗練されたその教会の中に入ると、なぜか心が清められるような、そして、アルプスの清々しさが僕の体内に吹き込んで来るような清涼感を感じる。
 教会から出た僕は扉をしずかに閉め、駅の方に歩いていく。
実は電車を降りた瞬間に、今夜は駅前のホテルに泊まろうと決めていた。
駅から離れた場所には幾らでも、いい感じのホテルはあるんだけど、いつもの気まぐれ。
レセプションに行って空き部屋無いか聞いてみると、オンシーズンだってのに大丈夫だと言う。
一泊Fr30。 流石に、ベルンで泊まったホテルに比べると、ベラボーに高い・・・・でもチェックイン。
僕の部屋は結構広々としていて、窓の正面には谷を挟んで山が迫って見える。

ドルフ教会 今頃はいい大人に・・・ 村をバックに 鉄道切符
 
 ザックを置くとカメラを持って直ぐに外に飛び出した。
ハウプト通りを外れて谷の下の方に向かって歩いて行く。 観光客らしい人気は全くなく、時々、村の人と出会うが、みんな笑顔で「ハロー」って声をかけてくれる。 出逢った何人かの女性に写真を撮らせてって聞くと、みんな笑顔で受けてくれる。 数枚、そんな調子で撮った後、ゆっくり歩いているとどこからともなく子供達の歌声が聞こえてくる。 歌の聞こえる方に歩いてくと、3人の子供が歌いながら遊んでいる。
 僕に興味を持ったのか、「ハロー」っと言いながら僕に近寄ってきた。
なんやかやと質問しているようだけど、何を言っているのか解らない。 こんな時は、何でもかでも自分の事を知ってる単語で言うのが一番。 「I came from Japan.」 「My name is Masa.」・・・・どうやら解ったらしく、その子達が自分の名前を一人ずつ言ってるようだ。 今度は、Japanは何処にあるのか?って聞いているようなので、地面に簡単な地図を書いて日本の場所を教えてやると、また何やらワイワイと騒いでいる。 別れ際、ちょいと一枚撮ったのが上の左から2番目の写真。
 子供達と別れ、歩いていた正面を見上げると、それまで雲に隠れていたヴェッターホルンの勇姿が見える。 ここで、方向を変え、村の一番奥の方に向かって歩き、谷を今度は登るように歩き続ける。 道は狭くなり、舗装路でなくなった。 人気の無い一本道を歩いていくと、結構お年の老人が一人で歩いてくる。 かなりの年らしいが、歩き方は実にしゃんとしている。 「ハロー」って声をかけると、わざわざ帽子をとって挨拶を返してくれた。 丁度良い、写真撮らせてと聞いてみると、嬉しそうにうなずき、再び帽子を取って胸にあてがうようにポーズをとってくれた・・・・・いやあ、そこまでされると嬉しいんだけど、僕は帽子をかぶった姿を撮りたかった。 申し訳ないと思いながらも、注文を付けて上のような写真を撮らせてもらう。 別れ際、またまた帽子を取って僕に礼を言ってその老人は村の方に去っていった。
 村の中を歩いていると、いろんな所から声をかけられた。
でも、この村は世界屈指の観光地の筈だけど、村人は誰にでもこんなに爽やかな対応をしているんだろうか? ふとした疑問。 日本人が珍しい筈は無いよな。 何れにせよ、ここは登山の起点にもなる村だって事を考えると、その辺に理由があるのかも知れない。 結局理由は判らないけれど、とにかくこんな経験は始めてだ。 散策の帰り、村のもっと奥にある山小屋風のホテルで宿泊交渉をして、Fr13の部屋を見つけ、翌朝、チェックインする事にした。 この村にもユースホステルはあるが、今回もパス。
明日はアイガーの中を通ってユングフラウへ行くぞ。