僕のオーディオ歴

小学校から高校まで

 僕の家には古い蓄音機があった。
今の家に建て替える前、僕の家の母屋は平屋で屋根裏に狭い納屋があった。
この納屋へ上がるには台所の天井にある引き戸を開け、ハシゴを掛けて登らねばならなかったから、小学生の僕にはいつでも行けると言う場所ではなかった。 そこへ上がらせて貰えるのは年末や節句のような何かの行事の前で、正月の御飾りや鯉のぼり、雛人形等を出すとき等に限られていたのだ。 
 僕にとってこの納屋の空間は異次元の世界。
僕や弟が生まれた時に産湯を浸かった桶だの母の洋裁道具や古いミシンだの、お婆ちゃんの家で使っていたという古い農具や餅付き道具・・・・・・色んな物が整然と並べられていた。 その中に古い蓄音機があった。
 蓄音機は黒くて四角いケースに収まるようになっていて、このケースの蓋を開けると何とも言えない古くさい独特の臭いがケースの中から湧き出てくる。 でも、決して嫌な臭いでは無かった。 僕はこの納屋に上がると必ずこの蓄音機の蓋を開け、ゼンマイを巻くハンドルをケースから取りだして蓄音機にセットしてゼンマイを巻き、蓄音機の側に置いてあった多量のレコード盤から適当な物を一枚選んでかけてみる。 もっとも、多くあったレコードの殆どは長唄や浪花節だったので、鑑賞すると言うより、こんな機械と、黒くて重たい盤から音が出てくる不思議さに興味が引かれたと言う方が正しい。 この蓄音機やレコードも、僕がロンドンから帰った時にはすでに処分されてしまっていた。
 同じ頃、家には電蓄があった。
ラジオとレコードが聴けるものだったが、こちらの方にはさしたる興味も無かった。
モノクロとは言え、すでにテレビもあったし小さなトランジスタラジオも普及していた事もあって、これらから音が出る事は僕にとって差ほど不思議な事でも無かったからだ。 テレビや電蓄から音が出てくるのは、その仕組みは解らなくとも、当たり前だと思っていたからだろう。 それに比べ、あの蓄音機や鉱石ラジオから音が出てくる事の方がはるかに不思議な現象に思えたのだ。
 
 中学生になって、家にラジカセなるものがやって来た。
アイワの物で結構大きな物だったと記憶する。 他の友達が持っていたラジカセに比べて結構大きなもので、まだまだ体が小さかった僕にとって持ち運んで使うような物ではなかったが、音は電蓄なんかと比較できない程良かった。
 ある日、級友の家にステレオがあると言うので見に行く事にした。
親がスーパーマーケットをやっていたその級友の部屋に入ると、そこには小学校の音楽室にあったような立派なステレオ(アンサンブル)が置かれている。 早速、当時はやっていたGSのレコードをかけると、それはもう、今まで聴いた様々な音とは全く次元の違う凄い音がそのアンサンブルステレオから流れ出した。 ふんわりと包み込まれるような心地よい音に体中が取り巻かれる感触。
 家のラジカセと何処が違うねん。
そこで僕はラジカセとアンサンブルステレオの大きさの違いに注目した。
その瞬間、僕の頭にある考えが浮かんだのだ。
早速家に帰った僕は、もう現役を引退していた電蓄を分解し、そのスピーカーだけ取り出してそのスピーカーをタバコの箱(段ボール)に取り付けて見た。 スピーカーの部分は丸く穴を開け、そのままでは強度が保てないので、板きれでスピーカーを取り付ける部分は補強した。 そして箱の中に座布団を詰め込んだ。 ACコードを引き裂いてスピーカーユニットに繋ぎ、それをラジカセのスピーカー線に直接繋ぐ(ラジカセのスピーカー線は殺して)。
 さあ音だし・・・・・確かに音の迫力は上がったが、なんだか様子が変だ。
それでもアンサンブルステレオの印象が強烈に残っていた僕の耳には、自作スピーカーの音の方がラジカセからの音よりなんだか良いように思え、結局、それから数年間はこれで聴いていた。

 高校生になると朝と夕方、バイトを始めたので懐は比較的裕福だった。
高校三年の夏休みに海外一人旅を計画していたので、その資金も貯めなければならなかったが、自分の計画ではそれほど予算がかかるとは考えていなかった。 学生の身分を考えれば貧乏旅行で十分、いざとなれば寝袋で寝ればいい。
 そんな考えがあって、ある程度お金が貯まると一眼レフを買ったりプラモ買ったりモデルガン買ったり・・・・・・貯金が14万円になった頃、街にある行きつけのレコード店でトリオの4チャンネルステレオセット(セパレート)を見かけた。 当時はやり始めたディスクリート4チャンネルのステレオセットだ。 それまで、カタログなんかで色んなステレオセットを見て、店でもセットを見るのが楽しみだった僕はその場で衝動買いをしてしまう。
 家に運ばれたそのセットは流石に大きかった。
その頃はまだ母屋だけだったので、僕の部屋に置かれたセットの大きな事。
胸を弾ませながらスイッチを入れ、FMモードにしてチューナの選曲ダイアルを回していると、突然、当時よく流れていたウイスキーの宣伝が入ってきた。 ウイスキーをコップに注ぐ音がとてもリアルに聞こえる。 これは凄い・・・・・・友達のアンサンブルステレオ(球管式)のこもったような、包み込まれるような音では無いが、乾いた感じのリアルな音。
 このセットで聴いていたのは殆どが流行歌やポップス、それに映画音楽にイタリアやロシア民謡。
そう、僕はクラシックなんぞ縁のない人間だったので、映画で見た一部のクラシック曲以外は全く興味がなかった。 
 折角買ったこのステレオも、高校卒業と共に、渡航資金の足しにと友人に譲ってしまった。
まあ、こんな事で得たお金と言うのは出てくのも早い。 渡航資金になる前に、京都や奈良へ遊びに行く資金として知らぬ間に消えてしまい、何のために売り払ったのか分からない。

ロンドン時代

 高校を卒業した年の夏、僕はシベリア経由でロンドンへ旅立った。
以来4年近く、ロンドンに滞在するが、彼の地で購入して使用したのはソニーのHST-139と言うセット。
チューナーとカセットデッキ、アンプが一体になったタイプのもので、ブックシェルフ型のスピーカーが付いていた。 このセットの購入経緯については旅行滞在記編の『ウエストハムステッドの電気屋さん』を参照して下さい。

東京時代

 帰国してクラシックギターを専門的に学ぶため、東京の音楽学校に入学する事になった。
高校時代に買ったステレオセットはもう無いので、ステレオセットをどうしようと考えていたら、弟がパイオニアのプリメイン・アンプとカセットデッキをくれると言う。 取り敢えずこれらを東京に運び、その足で秋葉原へスピーカーを買いに行った。
 予算は2本で3万円程度だが、なかなか思ったのが見つからない。
と、ある大手家電店のオーディオコーナーで店員と話していて、これから音楽の勉強をするんだけど、勉強に使うオーディオ機器の内、スピーカーが無いと話すと予算を聞かれ3万円と答えた。 その店員さんが「メーカーは何処でもいいですか?」と聞くので、拘らないと話すと、ローディーの3ウエイ(2本で7万円ちょっと)を指差して、「これなら3万円にさせてもらいますよ。」と言う。 安ければそれに越したことはない。 ってことで決定。 これで、少なくともカセットテープは聞けるようになった。
 学校に通い始めて1年目、リサイクルショップでヤマハのアナログ・プレイヤーを¥8,000で購入。
機種名は覚えていないが、このプレイヤーは今も元気に現役である。(淡路に帰ってから、友人のジャン君にあげた。) その直後、通りがかりの電気屋さんの前にオプトニカのチューナーを見つけ、その電気屋さんに「このチューナー、どうするんですか?」と聞くと下取り品だけど処分すると言うので貰ってきた。 家に帰ってセットに繋ぎ、アンテナを張ってスイッチを入れてみると、何と問題なく作動するではないか。 これで一応、ちゃんとしたステレオセットが整った事になる。
そうそう、このチューナーは今も現役で生きてます。

 音楽学校を卒業し、某メーカーの貿易部で働き出すと懐も余裕が出てきた。

最初は2DKのアパートに住んでいたが、3LDK、4LDKのマンションへと引っ越したのをきっかけにセットを買い換える事にする。
ロンドンで働いていた頃、最後にお世話になっていた会社の社長はその会社とは別にチャットウエルと言うスピーカーの会社も持っていた。 なんでも、手作りの高級スピーカーだそうで、よくスピーカーの話は聞かされたもんだ。 その中で、タンノイと言うメーカーの話が出た。 どんなスピーカーかは知らなかったが、興味があったのでオーディオ誌で調べたりしながら都内のオーディオ店を見て回ったりもした。 
 ある日、都内の高級オーディオの中古ショップでタンノイのG.R.F.メモリーとウエストミンスターと言うスピーカーに出合った。 どちらも38cmデュアルコンセントリック・スピーカーユニット(高・中・低音のユニットを同軸上に搭載した、一見フルレンジのようなスピーカー。)を搭載したかなり大型の物だ。 メモリーはバスレフ型で、ウエストミンスターはバックロード・ホーン。 価格は、ウエストミンスターが2本で54万円、ウエストミンスターが75万円。 サイズも凄いが、価格も凄い・・・・これでも定価の半額かそれ以下だ。 程度も良くて、どちらも一見新品のようにきれいだ。
 試聴を申し出ると、どのアンプで聴きたいかと聞かれたので、一番安いアンプでと答えると、マッキントッシュのアンプに繋ぎ替えるので、待って欲しいと言う。 珈琲を頂きながらしばし待ち、さああ、と聞き始めて驚いた。 兎に角、音はもう、これまで僕が使っていた装置の音とは次元が違う。 演奏者の息使いや譜面を捲る音、椅子のきしむ音まで聞こえて来るではなか。 僕のセットではついぞ聞いたことの無かった音・・・・・こんな音まで入っていたとは。
 その時聴いたセットでの見積もりを貰うと、G.R.F.メモリーにアンプはマッキントッシュのC27(プリアンプ)、MC−1105(パワーアンプ)で合計¥78万円也。 そこを値切って¥73万円で決めてしまった。 こりゃあかみさん、怒るだろうなあ、今夜は家に入れてくれへんかもしれんなあと恐る恐る家に入り、夕食後話を切り出す。
建て替え前の淡路の家で


 「今日、スピーカーとアンプ買うたんよ。」
 「持ってるのに?」
 「ええ音で音楽聴きたいやろ」
 「そんなにいい音するの?」
 「次元が違う。」
 「ふーん、で、幾ら?」
 「73」
 「7万3千円?」
 「いや、ゼロが一個足らん。」
 「・・・・・・・・どこにそんなお金あるの?」
 「車、そろそろ買い換えやろ(僕は中古車しか乗らない人です、それも50万円以下の)、軽四の新車買ったと思て・・・・あとこの 車4年乗るから・・・・・」
 「今度は先に相談してね。」

 家内は大学時代、マンドリンクラブにいたので音楽が大好きである。
それから、過ぎた事にうじうじする人ではない。 大体、上のような会話で無事説得(事後説得だけど)は終了だ。 
勿論、僕等にとってこの金額が小さなものである筈がない。 結局、入社以来続けてきた財形貯蓄を解約して支払う羽目になった訳だが、とにも角にも手に入れる事が出来た。 ついでに、CDデッキも買った。 これはヤマハの¥70,000程の物。

 物事何でもそうだが、何に価値観を見いだすか、である。
こんな高いオーディオセットを買ってと思う人もいるだろうし、僕も欲しいけど、とてもそんな高額の機械は買えないと言う人もいるだろう。 欲しいと思わない人は別として、欲しいけど買えないと思う人は、本当はそれ程それを欲してはいないと言える。
 欲しいけどお金が無いと言いながら、乗ってる自動車は新車で、それもある程度いいもの。 身の回りの品も結構いいものを持ち、一回飲みにいけば結構出費もする・・・・・・・・要は、オーディオが好きで、こんな機械が欲しいと言いながら、結局の所、他の生活や趣味を犠牲にしてまでそれを欲しいとは思わないだけの話だと思う。
 僕は決して一点豪華主義ではないが、それが本当に欲しいと思えば、他の自分の生活や趣味を犠牲にしてでもそれを手に入れて来た。 本当は車だって新車に乗っては見たいが、残念ながら、他の趣味の方が車に勝っているから、そんなのに金を掛けるなら自分が好きな物にお金を掛ける。 ただそれだけの事だ。


つづく